それさえ実践しながら成長するんです

「こんなんでいいのー?」って感じるようなことって世の中にはたくさんあるんです。
でも、多くの人は「常識」や「教育」なんかで、「そんなんじゃ悪い(ダメだ)」って感じて、
せっかくこんなんでいいのに、わざわざ罪悪感を発動してくたびれる方を選択してるんです。
くたびれる方を選択する(楽してはならない=have to)が、コンフォートゾーンだと、
労力が少なく利益を得ることを認識できなかったり、要所要所で悲壮感が出たりと、
感謝を味わい辛く、歯を食いしばって、「場」が動いて行かない状態が長く続きます。
誰しもが、そのままで価値があるってところが腑に落ちているのであれば、
自らに過度の労力を強いることなく、自分にとって嬉しいことのためにはお金を使い、
自分が満たされることを許可しても良いですし、その満たされた波動が新たな価値になります。
ですから「勉めて強いる」ことが「正」だと捉える無意識を意識に上げて、
自分のゴールにとって必要なことはやることやるし、「こんなんでいいのー?」みたいなのも、
犯罪じゃなければ当然のように受け入れていいのだと、「勉めて強いる」を手放す。
パッツンパッツン状態が長続きするのは、大変非効率であり自己愛に乏しく負の波動を生みます。
「やることやる」は、バシッと集中してやる(やることやらなくてもOKということではない)。
「こんなんでいいのー?」に罪悪感は必要ない。
「こんなんでいいのー?」ということで、お金を頂くことを許可できない人は多いんです。
しかも、相手が価値を感じているのに「自分の労力に見合うか?」という基準を勝手に設定して、
「この労力では相手が価値を感じないはず」と、自らお金を頂くことを許可できずに、
無限の可能性を狭めている提供者がホントに多いんです。
「こんなんでいいのー?」が軌道に乗れば、
「お金がある」というよりは、「時間がある」になりますので、様々な貢献ができます。
あなたに子供ができて、「うちの親は、いつも家に居て余裕な感じなのに裕福だ」と感じたら、
「ヒーコラ時間を切り売りして、苦労するのが稼ぐということだ」という自我を形成することなく
「あー、仕事って労力的にこんなんでいいんだー」ってのが当たり前になって、
将来サラッと稼ぐ人になって、自分も幸せで多くの人に貢献するかもしれません。
「成功したい願望」とか「そのためのノウハウ」とか、気になるところではありますが、
「こんなんでいいのー?」に対する罪悪感が、多くのゴール達成の障壁になることを知って、
ゴールの世界を実現するためにも、やることやりつつ罪悪感を手放しましょう。
「こんなんでいいのー?」を許可するアファメーションを唱えるのも有効ですね!
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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