問題にのめり込んだ結果

何年も前に、最高裁に行ったことがあります。
いきなりインパクトが強い文言から始まりましたが、訴訟を抱えていたわけではありません。
ある問題をなんとかしようとしている人達の行動に参加したのです。
私は沖縄本島に旅行に行って、もう観光地的な場所は行った気がしたので、
一人でレンタルバイクを借りて、ひたすら走る計画を実行しました。
それが観光地を回ることの100倍楽しかったのです。
那覇から名護まで高速で北上して、名護からはひたすら海沿いを風を感じながら北上し続ける。
そして、沖縄本島最北端の「辺戸岬」に到着して、断崖絶壁を眺めて休憩した後に、
今度は、やんばるの森のグネグネうねる道を、エキサイティングに走るのが超楽しい!
そんなやんばるの森を、周りに誰も居ないから「フォー!」なんて叫びながら走ってたら、
なんかテントみたいなのが並んでるところがあって、数人でなんかやってる。
「なんだろーなー」とちょっと思うくらいで、先に進むと「高江」という地区に辿り着いた。
「あっ!」
そこそこ急ブレーキで止まりました。
「高江ってあれだ!ヘリパッド問題のところだ!」
「さっきのテント集まってるところはヘリパッドに抗議する座り込みだ!」
私の大好きなミュージシャンの「知久寿焼」が、なにかと高江って言ってたので思い出した。
なるほど、ぜんぜん興味が無かったけど、この圧倒的な(マジで圧倒的な!)大自然を破壊して、
ヘリパッド作って、ヘリの騒音で高江の人が困っているのか!
圧倒的な自然を臨場感高く体感していることによって、「こりゃイカン!」と思いました。
その後、高江の問題について調べたし、「標的の村」って映画も見たし、
高円寺で高江のイベントやるって言うんで、よく見たら我が家から30秒の場所だったので、
恐る恐る参加してみて、そこでいろんな問題が語られていてのめり込んでいきました。
そうこうしてるうちに、「標的の村」に出演されていた高江の方と一緒に、
最高裁判所に行って意見を言う機会を設けたので、参加自由!という告知を見つけて
「こりゃ行くしかねー!」と思い、参加することにしました。
さすがに、ちょっと緊張しながらスーツ着て集合場所に行ってみました。
すると、集まっている人達を見て、まずは違和感を覚えたんです。
99%の参加者が、なんというか高円寺のアンダーグラウンドな恰好の人たち。。。
「こないだのイベントはラフな格好なのはわかるけど、今日もそんな恰好するのか?」
そう思いましたが、「いや、服装なんかで決めつけるのは違うな」と思い直し、
いざ、最高裁の中へ・・・
結果として、まー豊かな意見交換ではなかったわ!
そんな言い方したって、まぁ相手に一切響かないでしょうというのが、
コーチングを知らなかった私でも容易にわかる「場」でした。
一人だけ区議会議員の方が居たので、冷静に話し合いされてましたが、
それだけでは、到底効果的とは言い難い時間を過ごすことになり、
「こりゃ厳しいわ・・・」と、ちょっと幻滅しました。
終わった後は、近くの喫茶店で交流会的な流れになり、
私としては、実際に高江に住んでいる人の話を聴きたくて参加して聴けたのは良かったですが、
なんか、皆さん優しく話しかけてきて、私が実際に高江に行って感じたことを話したら
「あー、もう私たちの仲間だ!」みたいな感じになって盛り上がってました。
なんか、本当に問題だと思って取り組んでいるのか?
仲間内でみんな参加してるから、同じノリで参加することで居場所感を感じているだけなのか?
高円寺のアンダーグラウンド感の真っ只中で20代を生きた理解ある私だったとしても、
ぜんぜん魅力的な活動者ではなかったので、仲間どころか、そそくさと帰りました。
私は今、ワクチンがどうとか、政治がどうとか、言いたければ言えばよいと思いますが、
あのときの、豊かではない批判のお祭り騒ぎ感、
または内輪ノリの箱の中感を感じることが非常に多くなっているんです。
もちろん全てではなく、しっかり信念に基づいた意見を持ち、活動している人もいますが、
コーチング界隈がそうなったら、ますますコーチングを必要とする人が多くなるってのに、
とっつきにくいまま、マインドの上手な使い方が多くの人に広まることなどないのではないか?
あの時感じた違和感に似てるんです。
真っ只中に居る当人たちには、非常に気づきにくいことなんです。
これ、コーチ自身の守破離やら自立の為にも気づくことが重要なんです。
気づいたコーチが実際に活躍していることに否応なく気づくことでしょう。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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