悲しさを止めて観る

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「悲しさ」に向き合う

悲しいと感じることが起きました。

それがわかった時、「ゾワッ」とするもので、

ネガティブな感情が満ちそうだなと思ったので、

そんな感情に、お湯が沸くまで待ってもらってお風呂に入りました。


お風呂に浸かりながら

最初のうちは、顔を出した悲しさやネガティブに蓋をしました。

「いや、私は凄いんだから悲しいとか必要ない」

「私らしくない、大丈夫!ポジティブに考えよう」

ネガティブなんかに支配されない!私は常にポジティブなんだと。

セルフトークを「ポジティブにしなければならない」とhave toになってました。


でもなんか、

負の感情を無理に押さえつけて闘っちゃってるなと思えてきました。

負の感情に対して「出てきちゃダメでしょ!」って叱ってるような感じね。


こりゃいかんと思い直して

負の感情に出てきてもらって話を聴くことに決めました。

「そうなんだね、悲しいんだね」

「こんな風になりたくてなったんじゃないもんね」

「相手がそんな風に言うのも胸に刺さっちゃうよね」など

お風呂でリラックスしながら、悲しさと向き合いました。


「悲しい」に覆いつくされて、こちらが不安定な状態ではなく、

「悲しい」に蓋をして見なかったことにするんじゃなくて、

一旦「悲しい」を止めて観ながら、向き合ったということです。


そうこうしてるうちに、「悲しい」は満足したのか消えていきました。

「あぁ、幻だったんだということだな」と腑に落ちました。

こりゃ下手をしたら、不安定になってたかもしれないですね。


相手には、私に対して「仮の役割」があって、

だからこそ、私に伝えてきたことなんです。

その言葉のインパクトが強いことも手伝って、

悲しさが「ドバーッ!」と出てきそうでした。

そこで、悲しさを止めて観ることによって、

各々仮の役割があるけど、全ては幻と気づいて、

悲しい感情に支配されなくて済むんですね。


ゴールに向かって現状の外に踏み出し続けていると、

一見、悲しかったり、辛かったりするようなこともあると思います。

悲しかったり、辛かったりってホント嫌ですもんね。

でも、それが嫌で動き出さない人ってゴール達成しないですよね。

だって、ゴールは現状の外に設定するのであって、

現状の外なんて踏み出さないとわからないからですね。


「悲しい」「辛い」を蓋したり、闘ったりしないで、

「止めて観る」という抽象度まで上げるんでしたね。

上手くいかなかったときのインパクトの強さによって、

観もせずに、慌てて蓋したり闘ったりしちゃうことがありませんか?

それだと、リラックスなんて微塵もしてませんよね。


現状の外に踏み出して、いろんなことが起きて、

闘わずに、止めて観て向き合うことによって、

そこで立ち止まることは、幻に支配されているということに気づき、

また現状の外に踏み出してゴールに近づいていくんですね。


もっと極めると、恐怖という幻想なんか一切感じなくなるんでしょうね。

私は正直そこまで到達してません。

勇気を持って現状の外に踏み出して、

何かあったらグサッと心に刺さるけど、止めて観て乗り越えて、

また勇気を持って踏み出してを繰り返し、ゴールに近づいてる状態です。

最近は、そこまで極めたいなーって思ってます。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。


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