美意識の概念が無い鳥たちからの教訓

尺度の違いによるパラダイムチェンジ

昨日のブログで、「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!と、自分と向き合って恐怖を味わいきって解決した気がしてましたが、「まだ、自分のプライドが邪魔しているな」と感じて、自宅の中で集中してやろうと思っていたことが出来なかったので、外に出ました。

「どこか、ぜんぜん興味のないところを歩こう」と計画して、何の事前情報もなく「都立家政」から「鷺ノ宮」あたりの、駅前とか商店街とかではなく、なんてことない住宅街を、ただただ歩きました。

自分のゴール側のイメージでの振る舞いという観点から、ゴール側の自分であれば、こんな風に歩くという意識と共に、だからと言って現状の自分を「ゴール側みたいにカッコよくなきゃダメだ!」と否定するのではなく、現状の自分が大好きでいるマインドも兼ね備えて歩くという、豊かな内面から醸し出されるパフォーマンスに注力しました。

見た目というよりは、醸し出されるエネルギーの違いです。

現状を肯定して、「今のままでいいやー」という現状維持の状態と誤解されそうですが、ゴール側のコンフォートゾーンに移行しつつ、現状を否定も肯定もせず、自分のカッコイイ部分も醜い部分も大好きでいるというマインドのことです。

そうしながらも、自宅にいるよりは快適な気分で歩いていたのですが、自分のプライドが邪魔していること、そのプライドも幻想みたいな思い込みに固執しているというのは理解できても、いざプライドなんか関係なく行動を起こすことをイメージすると「いや!やっぱ恥だ!無理だ!」と考えて目の前が晴れない感覚でした。

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そうこうしてるうちに、「妙正寺川」という、川沿いの道に行きつきました。

なんてことない小さい川なので、何の感動もなく通り過ぎようとしたのですが、「ホロッホー」みたいな、鳩の鳴き声が聴こえて川を覗いてみました。

川の両脇に無作為にゴミが落ちていて景観も良くなかったのですが、そのゴミの周辺に多くの鳩が群がり、そこら辺から食べられるものをくちばしでつまんでいました。

「今の季節、桜撮って画像SNSにアップする時期なのに、なんとも美しくない映えない景観だ・・・」と思ったのですが、この「美意識」が心に引っ掛かりました。

鳩の立場からすれば、人間と同じ尺度の美意識など存在しないわけですし、ただそこに自分達が食べられるものがあるから食べているだけで、「 なんとも美しくない映えない景観だ・・・ 」なんて思っている私の事など、一切関係ないのです。

もし、私が「お腹すいたな」と思ってたら、妙正寺川の脇に確実に安全に食べられるものがあったとしても、食べたりしないでしょう。

なぜなら、道行く人に「うわ!あいつあんな汚らしいところにある食べ物食べてるぞ!きたねー」と思われるのが恥だという美意識があるからです。

「そうか!無垢だったころになんの遠慮もなく出来ていたことが、大人になるにつれて身に着いた自分のくだらないプライドのせいで、無限の可能性を狭めているのか!」ということを、ごみの中から食べ物を探している鳩に教えて頂きました。

美意識は豊かなマインドを醸成するのに必要ですし、日々磨いてセンスを深めたいと思っています。

しかし落ちてるものを食うというのは、プライドも何も危険性もあるので極端な話ですが、

ただ、そこにある。

それは、プライドを捨てることにより、無限の可能性を秘めている。

どうしてもゴールを達成したいというのは、そういう観点が必要なんだということです。

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プライドの思い込みが、かなり無くなりそうになって、またしばらく歩くと、なに寺だか忘れましたが、寺がありまして、池のほとりに桜が咲いていたので、写真でも撮ろうかなと思い入っていきました。

美しい外観をスマホでパシパシやっていたら、「ガー!ガー!」とカラスが美しくない鳴き声を発しながら、煎餅の袋をくちばしで破きながら食べていました。

またか!

カラスにとって煎餅は「所有者」と「窃盗」の概念が無いので、ただそこにあったので食べているのでしょう。

誰かが所有している。

窃盗とか人を騙すのは犯罪だからダメなのは当然ですが、誰かの所有物というのも無限の可能性があります。

クラウドファンディングなんて、良い例だと思います。誰かの所有物をお願いして少しずつ頂き、何かしらできるリターンを返す。

なんてことを考えてたら、多分煎餅の袋を置きっぱなしにしてた子供たちが、「コラー!」と走ってきて、カラスを追い払いました。

子供たちはみんな大爆笑しながら「お菓子カラスに食べられた-!あははは!」と大盛り上がり。

カラスに対しての「怒り」や「見下し」なんて、微塵もありません。

「こんな事頼んだら、見損なわれるかもしれない」「こんなこと聞いたら、バカにされるかもしれない」とイメージしてしまって、「恥ずかしい!できない!」と思っていることでも、いざ頼んでみると「あははー!いいよー!」とすんなり頼みごとを快諾してくれるかもしれない。

「いつもお世話になってるし、ぜんぜんいいよ!」「信頼してるから、気にすんな!」なんて風に言われたら、それまでの思い込みプライドが無駄としか言いようがありません。

ここら辺で、遂に私の中で邪魔をしていたプライドが去っていきました。あー良かった。

ゴール達成において無限の可能性が見えてきたときに、プライドが邪魔をして選択できないという場面に遭遇することもあるでしょう。

そんな自分と向き合うという状態も、ゴール達成状態がコンフォートゾーンになるためにぶち当たる必然的出来事なのだということです。

魅力的なスポットがあったとか、良い感じの風景が見られたとか一切なく、何の思い入れもない場所を歩いて、自分のマインドにとって大変貴重なパラダイムチェンジができました。

不思議ですなー。。。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

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