未来志向のグータラ vs 怒涛の現状による忙殺

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「行って」「動く」だけではない

本日18時現在。

今日は行動という意味で何もしてない。

どこにも行ってないし、部屋かトイレか風呂かくらいの範囲内。

「〇〇に行こうかな」と頭に浮かびましたが、「今日は違うな」というwant toが降りてきたのでやめました。

自分の未来をデザインしたり、不要だなと感じたことと距離を置いたり、飯食ったり、風呂入ったり、トイレ行ったり、昼寝したり、携帯見ながらまた寝落ちしたり。

活発の「か」の字もないくらい、グダーと過ごしております。

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自分の未来をデザインしたり、不要だなと感じたことと距離を置いたり」ってところが有意義であり、非常に大切であったりするわけですが、これもせずにボケーとYouTube見たりとかで時間を潰すだけだったらホント何もない一日と言ってもいいでしょう。

超忙しい毎日の中で、「7つの習慣」でいうところの「刀を研ぐ」みたいな意味で、あえて何もしないというのも有意義であったりするのですが、「超忙しい」を分解してみると、「その忙しさに自分のありたい未来のための意義はあるのか?」とクエスチョンマークを投げかけたい人が大勢いらっしゃいます。

  • 自分の自由意思ではなく、誰かが決めた影響力に右往左往しながら一喜一憂している。
  • 誰かが決めた影響力に全精力の大半を持っていかれて、帰宅して数時間無機質な時間を過ごして寝る。
  • もしかしたら、誰かが決めた影響力を「お前が決めた責任」という強烈な圧力で繰り返し唱えられることにより、「責任感」と思い込んでる感情が、帰宅を限りなく遅れさせている毎日を送っている人もいるでしょう。

上記は厳しめに書きましたが、似たような状態の人は令和の時代も多くいるのは確かです。

では、未来や現状の外に対して有意義な時間を取りつつ、ただどこにも行かず、ほとんど動いてない一日と、襲ってくる怒涛の現状を、余裕なく対応するため、あっちこっち行ったり、物凄い運動量だった一日と、どちらの人生が長期目線で有用でしょうか?

「怒涛の現状の末に、ちょっと仕事で出世しました」っていうのは、理想的な現状に近づいただけで、また自由意思のない現状の繰り返しです。

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もし、ここまで読んで自分の現状を振り返り、マインドがザワザワし始めているのであれば、「この人、気になるなー」というコーチを見つけることにフォーカスすると良いでしょう。

そして、そのコーチが気になり始めたら、現状に留まりたいのか?素晴らしい未来へ向かいたいのか?あなたのしたい方を選んで、それこそ「行動」したらよいと思います。

「このコーチ有名だし・・・」ではなく、「このコーチ気になる」と自分の内面が感じた人です。

・・・私の夜はこれからだけどね!

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

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