コーチングが嫌いになった

今、コーチングの情報を見るのもイヤなくらい、コーチングが嫌いになっています。

すごそうなことを言ってる人を見ても「何言ってんだこいつ?」と呆れ、スーツ着て身振り手振りでメソッドをレクチャーしてる動画が目に入った瞬間「キモッ」と画面をスライドさせ、業界の政治的な話題には「いいから黙って淡々とやれ」と、ワーワー言ってる情報を塊のように捉えてインプットを避けてます。

「そんな言い方をするのはコーチにあらず」って言われても、知らん。

マジで、コーチングでどうこう言ってるのを見るのがイヤになっちゃうという状態を、コーチングについてのブログで投稿しちゃう。


余裕がない、抽象度が低い、情けない

自分でも余裕がないと思います。抽象度なんて話になると、めちゃくちゃ低い状態だとも思います。

自分の物語っぽく言うと、最近は現状の自分について違和感を感じて、毎晩ホ・オポノポノ瞑想をしているから揺らいでいるのかもしれません。

コーチングが嫌いというよりは、その奥の〇〇かもしれないとかいう話を今回したいわけではない。

でもそんなんじゃなく、もう嘘ついて着飾っても透けて見えるんだから正直に言っちゃうと──

カッコ悪いほど現状にいっぱいいっぱいになってるのです。


映えている人たちへの違和感

こんな状態で感じるのは、インテリジェンスだ、理論マスターだ、すごい思想を言語化だとかやってる人たちは、情報の受け手に「情けない自分になってはいけない」という信念を育ませちゃってるんじゃないか、ということ。

「私は常にやりたいことをやってイキイキと生きてる」って人は、儲かってる状態の現状を維持してるインスタみたいな映えでしかない。

現状じゃなくなるなんてのは、もっと情けないんですよ。

本当はそうなのに、それだと映えないから理屈や見た目でそう見せないように工夫してる。映えてりゃ群がる者が現れるから、その恩恵を受けた方が儲かってる状態の現状を維持できて心地よい。

波に乗ったら、さらに映え情報を聴いてもらえるから、相乗的に儲かってる状態を飛躍させられる。比例して余裕ができて相手に優しくできるから、抽象度が高いように見える。

「儲かる」とか「お金」というものに捉われてないという人間性も映えるので、抽象度が高いように見える。

それを実現したり憧れている段階だから、そこの抽象度止まり、かつ奥行きがないから、崇高に見えてスカスカなんですよ。


「ゴールを嫌いになる」という体験

そういったことがわかっちゃうからコーチングが嫌いになったというよりは──

私は今、情けない状態だから反応的になってるのです。

師であろうが、世間的に認められてる人であろうが、「うるせー!だまれー!」ってくらいダメダメな自分を晒しております。

この情けなさを身に沁みて味わいきって、どうなっちゃうのかが非常に興味があるところではあります。


どうですか?

「ゴールを嫌いになる」というのは、ゴールを設定したときの現状ではなくなったからでは?

よくある「コーチングとか自己啓発に○○○万円投資した」みたいな人は、コーチングが嫌いと言えるでしょうか?サンクコストが引っかかるんじゃないでしょうか?

そんなことより、コーチングって「それがイヤになったなら、その今を正直に体感する」ことであって、取り繕うことではないのです。


情けない状態を体感する

現状ではなくなった後に振り返ると、「まさかこんなことになるとは……」っていうくらいの「今」を体感するわけですが、

今の私は「まさかコーチングの情報を見るのもイヤなくらい嫌いになるとは……」って体感しながら、この投稿を書いてます。

情けない状態のコーチが、余裕もなく体感していることの話でした。


追記:

これを読んで「プロ失格だ」と思う人もいるかもしれません。

でも、取り繕って「常に前向き」「常に成長」みたいな顔をし続けることの方が、よっぽど嘘くさい。

今この瞬間の自分を、情けなくても正直に体感する。

それがコーチングなんじゃないかと、情けない状態の私は思っています。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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