コンプレックスの「ラスボス」と対峙して

現れる

私の発信が滞るとき、それは私自身が味わい残したコンプレックスと向き合い、葛藤している状態かもしれません。

数か月前から、ジャブ程度で私のコンプレックスをくすぐる人が目の前に現れては、向き合い味わってきました。

そしてついに──その人の事前情報を聴いた時点で、「ラスボスだ!」と思うレベルの、私のコンプレックスの塊みたいな人が現れるとの情報が入りました。


「うわ!そこに行きたくない!」

自我がめちゃくちゃ悲鳴を上げました。

毎月通っているワークの場です。2日後に行く予定だったのに、会いたくなさすぎて悶えました。

それでも、自分のエッジを越える絶好の機会だろうということはわかっています。

足取り重く、その場に参加しました。


一目でわかった

自己紹介する前に、一目で「あっ、この人だ」と直感でわかりました。

向き合うにあたり、始まってから終わる直前まで、一言くらいしかしゃべりませんでした。

幸い、その方は素晴らしいパーソナルをお持ちの方でしたので好感は持てました。

ワークでは、自分の嫉妬・悔しさ・憧れ・情けなさ・恥ずかしさをさらけ出すように解放して、出すものは出し切りました。

悔いのないワークでした。


次の日も自我が暴れる

そのうえで、次の日も自我が暴れる場面がありました。

でも、強烈に味わったので、落ち着いて観れます。

葛藤を避けているとわかりませんが、向き合ってみると、「同じジャンルの中に居ようが、人それぞれ」なのが臨場感高く感じられるということ。

ビジネスで成功してようが、とんでもない深い見識を持っていようが、権威や影響力を持っていようが、そういったものを持っていなかろうが──

それぞれ違う事象の一部です。


枠組みは絶対的ではない

様々な人が影響を及ぼし合ってる複雑な世の中で、勝ちも負けも、羨望も見下しも、正義も悪も、意識高いも低いも、社会性があるもないも──

そんな枠組みは絶対的ではありません。

他人から枠組みされてもされなくてもいいし、自分で枠組みを作っても作らなくてもよい。

枠に入りたきゃ入ればいいし、同じジャンルでも違う枠だなと実感すれば、反応も葛藤も必要ありません。


頭ではなく、身体で身に沁みてわかった

昔、憧れたり、のめり込んだジャンルがありました。

その後、違和感を感じて離れた経緯があります。

そして今回、その憧れたりのめり込んだジャンルで徹底的に成果が出ている人に、実際に対面することで──

頭ではなく、身体で身に沁みてわかりました。

「避けていたけど、ついに身に沁みたかぁ…」

感慨深い状態まできたので、ようやくブログ投稿する気持ちになれました。


知識を語るよりも、体現していくこと

知識、正義、抽象度をアカデミックに語ることよりも、実際に自分の人生で体現していくことがコーチとしての仕事です。

その過程で、どんな評価にも巻き取られないためにも、体現し続けることが必要なのです。

コンプレックスから逃げずに向き合い、味わい尽くす。

その体験を通して、頭の理解が身体の理解に変わる。

そして気づくのです──勝手に自分で枠組みを作り悶えているだけであり、誰かの枠組みで評価されても「枠組みが違う」と気づけば気にもならずに自由だと。


避けていたものと対峙する

私たちは、避けていたものと対峙するとき、最も深く学びます。

「ラスボス」と呼びたくなるような存在──それは、自分のコンプレックスの塊。

そこに向き合うのは、自我が悲鳴を上げるほど辛い。

でも、その先に待っているのは、解放です。

嫉妬も、悔しさも、憧れも、情けなさも、恥ずかしさも──すべて出し切ったとき、何かが変わります。

枠組みが溶けていきます。

「人それぞれ」という言葉が、臨場感を持って感じられるようになります。


体現し続けること

コーチとして、理論を語ることは簡単です。

でも、それを自分の人生で体現し続けることは、簡単ではありません。

コンプレックスと向き合い、葛藤し、味わい尽くし、そして理解が身体に落ちる。

このプロセスを通して、初めて言葉に深みが乗ります。

どんな評価にも巻き取られない強さが育ちます。


「ラスボス」と対峙して、出すものは出し切った。

ワークだけでなく、その後の俯瞰的な向き合いによって「ふっ」と葛藤が終わった。

そして、ようやく身に沁みてわかった。

枠組みは絶対的ではない。

人それぞれ。

それでいい。

知識を語るよりも、体現していく。

それが、コーチとしての仕事だから。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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