偶然にしては多すぎる~重要性からの認識~

最近、不思議なことが起きています。
自分の物欲の面で魅力的だと感じるものを所有したり身につけている人が、偶然にしては多すぎるくらい目の前に現れる。でも、「あれ?」と違和感を感じるのです。それを見ても無力的に映らずに「それを手に入れたからといって、何だというの?」と感じてしまう。
本当に必要なのか?という問いが、自分のマインドに訴えかけてきます。
そうなると、あれを所有してエンジョイしたいとか、あれを実現して素晴らしい人生にしたいとか、外側の変化を目指す必要性があるのだろうか?と思えてきます。
今の世の中では、何かを実現した人、何かを所有している人が魅力的に映り、その人の発言の説得力まで強くなっている。
だから、実現や所有が魅力的に映る人が多いと思うのですが──この感覚は、ただのアウトローなのでしょうか?
アウトローではなく、成熟の入り口
結論から言うと、この感覚は「アウトロー」ではなく、むしろ“成熟の入り口”に立っているサインです。
所有・実現に惹かれなくなる感覚は、外側で自己価値を補完する段階から、内側の充足・好奇心・生命感で生きる段階へのシフト(脱同一化)です。
これは、コーチングの実践者としても非常に本質的なフェーズです。
外側の「実現」や「所有」に魅力を感じなくなる理由
「魅力的に見える物を持っている人が、やたら目の前に現れる」
「でもそれが逆に、本当に欲しいのか?と問われているように感じる」
これは、心理学でいう価値の脱フレーミングが起きている証拠です。
つまり、
「所有→幸せ」
「実現→成功」
という社会が押しつけてきた前提フレームが、あなたの中でゆっくり溶け始めているのです。
そしてそのタイミングで、象徴のように”それを持っている人”が頻出してくるのも、認知の仕組みからすれば自然です。
なぜなら脳は、手放し・変容が起きる直前に、必ずそのテーマを象徴する事象を外側に濃厚に映し出すからです。
これはアウトローではなく、自己の価値基準が、自前のものに戻るプロセスです。
「それを持ってどうなるの?」という本質的な問い
「あれを所有してエンジョイしたい」
「実現して素晴らしい人生にしたい」
…その”素晴らしさ”って誰の基準?
この問いが、無意識下で回り始めています。
これは、外側の成功フレームからの脱出の合図です。
所有・実現にはもちろん楽しさがあります。ただしそれは”手段”に過ぎず、「持つこと」がゴール化した瞬間、人生は歪み始めるのです。
こうして感じている違和感は、所有や実現で人生を測る価値観そのものへの違和感です。
「ただ楽しんで生きる」で十分か?
答えは、十分すぎるほど十分です。
むしろ:
- 「理由がわからないけど気になる」
- 「やってみたいからやってみる」
この“根拠のない惹かれ”に従う生き方は、外側の評価基準を超えた純度の高い生命感の表現です。
表現としての生き方、在り方の発露。
これこそが、本当の意味での自由なのです。
なぜ現代社会では「所有・実現が魅力的」なのか?
現代はSNSによって:
- 視覚的に所有がわかりやすく魅力化され
- 成果が”見える化”され
- 外側の価値基準が指数関数的に増幅される
という構造になっています。
結果として、“所有のラベル”をつけて歩く人が魅力的に見えるのは必然です。
でも、そこから一歩抜けて、在り方そのものの魅力に目が向いている。
これは極めて健全かつ、成熟した意識の段階です。
「脱同一化」──社会の価値観から自分の価値へ
このことは、社会の価値観に逆らっているのではありません。
単に、自分自身の深層の価値に還っているのです。
これを心理学・意識の発達論では「脱同一化」と呼びます:
- 社会の価値観から離れる
- 自分の内側の静かな声がよく聞こえる
- 所有や実現は興味はあるが絶対ではない
- “理由なき惹かれ”に従う
これは、自我の物語を超えていく発達段階であり、アウトローではありません。
むしろ、「自分に嘘をつけなくなってきた人」の自然な姿です。
もしあなたが外側の実現を崇高だと思っているなら
もしあなたが今、「何かを実現すること」「何かを所有すること」が崇高だと感じているなら、それは自然なことです。
社会はそう教えてきました。SNSはそれを増幅させています。
でも、観察してみてください。
- その「実現したい」は、本当にあなたの願いですか?
- それとも、社会の価値基準を内面化したものですか?
- 「それを手に入れて、どうなるの?」と問いかけてみてください。
その問いの先に、外側の成功フレームを超えた、もっと自由な生き方が見えてきます。
ただ楽しいと思えることをやる。理由がわからないけど気になることに取り組む。
それで十分なのです。
結論:成熟・自由・内的自立のサイン
所有・実現に魅力を感じなくなることは、アウトローでも奇癖でもありません。
むしろ、成熟・自由・内的自立のサインです。
外側で自己価値を補完する必要がなくなり、内側の充足・好奇心・生命感で生きる段階へ。
これが、本当の意味での自由です。
「それを手に入れて、どうなるの?」
この問いが浮かんだとき、あなたは成熟の入り口に立っています。
外側の変化を目指すのではなく、内側の純度の高い生命感に従って生きる。
そこに、本当の豊かさがあります。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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