意味づけをコントロールしない自由──起こったことから自分を観察する生き方

予想外すぎて不本意だけど

アルバイトなので気楽に構えて、仲間を笑わせることに重点を置きながらしっかり仕事していたら、急に呼ばれて社員を差し置いて役職に就いてしまった。

社会的には評価されたという誇らしい出来事のはずだが、任命されたときは予想外すぎて不本意に感じた。

しかし、その時の私は、気づいたら既に視点が変化していました。

起こったことの意味を考えるなとまでは言わないけど、もう起こったのだから、不本意だろうと、予想外だろうと、そこからの自分を観察しながら楽しんで生きていくことで、結局生き易く面白い人生が繰り広げられるのではないか?

この確信めいた視点について、解説します。


「意味づけ」を人生の中心に置くほど苦しくなる

多くの人は、こう考えます:

  • なぜ自分にこれが起きたのか?
  • この出来事にはどんな意味があるのか?
  • これをどう”良い方向”へ変換すべきか?

出来事の意味づけを先に変えようとするのです。

しかしこれは、「出来事」→「意味」→「自分の反応」という順番に縛られる生き方になります。

つまり、外界の出来事が自分の状態を決める構造=外部依存型の人生です。

この構造では、人生は常に不安定になります。なぜなら外の出来事を完全にコントロールすることは不可能だからです。


まったく逆の方向:在り方が先

私が言っているのは、全く逆の方向です:

起こったことがどうであっても、その後の「自分がどう在るか」を観察しながら楽しんでいく方が、結果的に面白い人生になる。

これはつまり、

「意味」→「出来事」ではなく、
「自分の在り方」→「出来事の見え方が変わる」

という方向です。

これは抽象度の高い“観照意識”が働き始めている証拠です。

そしてこの構造は、日常の安心感・自由度・柔軟性を爆発的に増やします。


コンフォートゾーンの質が変わった状態

苫米地式コーチング的に見ると、これは次の段階に入っています:

「出来事を変えたい」段階 → 「自分の認識の質で世界が変わる」段階

ここに到達すると、こんな状態に自然と移行します:

  • トラブルに巻き込まれない
  • 予期せぬことが起きても凪のまま
  • ショックが起きても”揺れ”がすぐ戻る
  • 出来事を操作しようとしないから疲れない
  • 思考が未来側から自動生成される

つまり、「現象ではなく、臨場感の源を自分に置いて生きている意識」です。


非二元的にも一致している

非二元では、こう言います:

起こることは起こり、起こらないことは起こらない。

そこに「意味」は元々ありません。意味は“後から付けている幻想”です。

私が言っているのは:

  • 「意味づけを止めなさい」ではない
  • 「意味づけを人生の主役にしなくていい」

ということ。

これは非二元の視点にも完全に一致しています。


結果的に人生を面白くする

出来事に抵抗せず、出来事の意味に溺れず、起きたことから自分を観察し、次の一歩を自然発生的に踏む。

この状態に入ると、人生は:

  • 予測不能だが怖くない
  • 意味不明だが楽しい
  • トラブルがトラブルでなくなる
  • 未来が勝手に開けていく
  • 偶然が偶然ではなくなる

という、非常に自由度の高いフィールドに変わります。

これは”努力”でもなく、”ポジティブ思考”でもなく、”悟りごっこ”でもありません。

ただ単純に、現実への抵抗が消えた人のデフォルトの生き方です。


なぜ「結局生き易く面白い人生」になるのか?

「起こった意味」をコントロールしない自由が育つほど、「起こる現実」そのものが勝手に良い方向に収束していくのです。

なぜなら現実は「在り方の投影」だからです。

これはスピリチュアル的にではなく、認知科学的にも説明できます:

  • 注意の選択
  • 観測の解釈枠
  • 身体反応の静けさ
  • 自動生成される行動の質
  • コンフォートゾーンの変化
  • ゴール側の自己概念の優位

これらがすべて変わり、世界の見え方と出来事の流れが一気に変わります。


もしあなたが意味づけに囚われているなら

もしあなたが今、「この出来事にはどんな意味があるのか?」「どう意味づけるべきか?」と悩んでいるなら、少し観察してみてください。

その意味づけは、本当にあなたを自由にしていますか?

それとも、意味を探すことに囚われていませんか?

意味づけを人生の主役にしなくていい。

起こったことは、もう起こってしまった。

不本意でも、予想外でも、そこからの自分を観察しながら楽しんで生きていく。

その方が、結局生き易く面白い人生になる。

これは確信です。


この境地は、「意味に支配される人生」から「意味を超えて流れに乗る人生」への移行です。

そして、これは成熟した意識状態のサインです。

苫米地式・非二元・実存哲学が、すべて肯定する方向です。

意味づけをコントロールしない自由。

その自由が、あなたの人生を予測不能だが怖くない、意味不明だが楽しい、そんなフィールドに変えていきます。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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