偏りから自由になる──理論を越えて「在る」を取り戻すプロセス

コーチングを深く学んだ人の中には、
「この理論こそ言っていることが正しい」
「理解していない人は抽象度が低い」と感じる人が少なくありません。

その背景には、実はとても純粋な動機があります。
「正しく理解したい」「本質を生きたい」という誠実な想いです。
けれど、気づかないうちにその“正しさ”と同一化してしまうことがあるのです。

理論を理解するほど、いつしか「自分=理論」になってしまう。
この瞬間、他者の多様な在り方が見えづらくなり、
“間違っている”という視点から人を観てしまうことが起こります。

けれど本来、コーチングも非二元も――
「正しい/間違い」を越えて、“ただ在る”という地点に向かうことです。


1. 観察──理論を「観る対象」に戻す

偏りから自由になる第一歩は、
理論そのものを手放すことではなく、観察できる対象に戻すことです。

たとえば、こんな問いを自分に向けてみます。

  • 「自分の中で“正しさ”って、どんな感覚だろう?」
  • 「その正しさを信じている“自分”は、どんな存在だろう?」
  • 「その瞬間、体はどんなふうに反応しているだろう?」

思考で理解しようとせず、感じる。
すると、理論に没頭していた“私”を少し外側から見られるようになります。
これが、観察のフェーズです。


2. 解離──「自分=理論」という同一化をほどく

観察が深まると、「理論を信じている自分」と「それを見ている自分」が分離します。
つまり、“理論が絶対”状態から、“理論を観る”状態に変わります。

この段階では、何かを否定する必要はありません。
「偏っていた」と気づくこともまた、偏りの一部だからです。

むしろ、「ああ、私はこの構造の中で安心していたんだな」と気づけると、
理論の中に閉じ込めていた自分自身を抱きしめるような温かさが生まれます。
それが、解離のプロセス。
理論と自分のあいだに、少しの呼吸の余白が戻ってきます。


3. 統合──「導こうとしない在り方」に還る

最後に訪れるのが、統合の段階です。

ここでは、「誰かを正そう」「導こう」という構えが自然に薄れていきます。
なぜなら、偏りもまた全体の一部であり、
その瞬間もすでに“完全”な現れだと感じられるからです。

非二元の理解とは、何かを否定して超えることではなく、
すべてを観照しながら抱きとめる地点に戻ることです。

だからこそ、他者が偏って見えるときも、
「偏っている人を変えよう」とするのではなく、
「偏りの中にも完全性がある」と観ていることが、
最も深い影響をもたらします。

そのままの在り方が、相手の中の“理論的自己”を静かに緩めていく。
それが、偏りから自由になるもっとも自然な道なのです。


終わりに──「理解」から「体験」へ

理論は、人を目覚めさせるための道具です。
しかし、その道具を握りしめ続けると、
いつの間にか「理解すること」が目的化してしまいます。

本当の自由とは、理解を超えて、“在る”を感じられること。
そこには「正しさ」も「間違い」もなく、
ただ生きることの充足と静けさが広がっています。

理論を愛しつつも、その向こうにある“体験のリアル”へ。
偏りから自由になるとは、まさにその方向へ静かに還る旅なのです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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