「ただ聴く」ことの圧倒的な力

以前の私自身がまさに
最近、いろんな人の話を聴く機会が増えました。そして面白いことに気づいたのです。
話している最中、相手が何度も「私ばっかり話しててごめんなさい」と言うのです。気持ちが乗ってきているのが伝わってきて、興味を持って聴いていると、所々で「あっ」と我に返ったかのように、この言葉を挟む。
これを自慢したいわけではありません。むしろ、ふと思い出したのです──以前の私自身が、まさに「私ばっかり話しててごめんなさい」と言いながら、黙々と相手に自分の話をしていたことを。
しゃべり倒していた頃の自分
「俺、このことについてこう思ってるんですよ」「それは、認知科学で言うと〇〇って言って…」「それは、俺の経験からこういうことで、こういうことが重要なんだよ」
相手が1語ったら、私は9しゃべる。そんな状態でした。
相手に役立ってほしくて情報を伝えたいのか、自分の知識経験顕示欲なのか。どちらなのか怪しいくらい、しゃべり倒していたのです。
いつの間に移行したのか?
あれ?いつの間に、自分がしゃべり倒していた側から、相手に「私ばっかり話しててごめんなさい」と言われる側に移行したのか?
…いや、違うな。
相手が誰かによって、私ばっかりしゃべっちゃうときも未だにあります。その人に「私ばっかり話しててごめんなさい」と言っているときもあります。
つまり、完全に「移行した」わけではない。状況や相手によって、どちらの立場にもなるのです。
理論なんていらない、ただ聴くだけ
ここで気づいたことがあります。
なんちゃら理論とか当てはめなくても、「人の話をただ聴く(訊く)」ということだけで、めちゃくちゃ効果があるということです。
これは、理論として知っていたことではありません。臨場感ありきで腑に落ちたのです。
相手の話をただ聴く(訊く)って、素晴らしい。そして、自分が相手にべらべらしゃべり過ぎたことを卑下する必要もない。聴いてくれた相手にちょっと気を使って、心から感謝すればよいのです。
「ごめんなさい」に込められた利他性
「私ばっかり話しててごめんなさい」
この言葉、実はお互いに利他的な効果が感じられるのです。
話している側は:
- 相手の時間を使っていることへの配慮を示す
- 自分の話を聴いてくれたことへの感謝を表現する
聴いている側は:
- 相手が安心して話せる場を提供している
- 相手の世界を自分の世界に含めている
これはまさに、コーチングで言う「利他」の実践です。自己犠牲ではなく、他者の世界を自分の世界に含めている状態です。
存在の深度が波及すると
存在の深度が波及していけば、気づくといろんな人が話しかけてきます。
だから、その話をただ聴く(訊く)のです。
それだけで利他的な行いになっている。ただそれだけです。
理論を学んで「傾聴スキル」なんて枠組みで磨く必要もない。「コーチングテクニック」を駆使する必要もない。ただ、相手の話を聴く。それだけで、相手の情報空間に変化が起きます。
しゃべり倒す自分を否定しなくていい
ここで重要なのは、しゃべり倒していた自分を否定する必要はないということです。
私も今でも、相手によってはしゃべり倒します。そして「私ばっかり話しててごめんなさい」と言います。それでいいのです。
聴いてくれた相手に感謝する。ただそれだけです。
一方で、相手が話したいときは、ただ聴く。それだけです。
どちらが良い・悪いではありません。どちらの立場も体験することで、両方の臨場感を理解できるのです。
知識を伝えたい欲求も、悪くない
「相手に役立ってほしくて情報を伝えたい」という欲求も、「自分の知識経験を示したい」という欲求も、それ自体は悪いものではありません。
ただ、相手が求めているタイミングで提供できているかが重要なだけです。
相手が話したいときに聴き、相手が聴きたいときに話す。このバランスが取れていれば、知識も経験も、本当の意味で相手の役に立ちます。
結論:ただ聴くだけで、十分
人の話をただ聴く(訊く)。
理論もテクニックもいらない。ただ、興味を持って聴く。それだけで:
- 相手は安心して話せる
- 相手の情報空間が変化する
- 自然と利他的な行いになっている
- 存在の深度が育っていく
そして、自分がしゃべり倒したときは、聴いてくれた相手に心から感謝する。
それだけで十分なのです。
「私ばっかり話しててごめんなさい」──この言葉に込められた、お互いの配慮と感謝。これが、最もシンプルで、最も効果的な利他の形なのかもしれません。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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