「努力は必要ない」を語る前に──体験の深みが在り方を変える

理論は学んだけど

「努力は必要ない」「努力しなくても成功できる」──自己啓発やコーチングの分野でよく聞く言葉です。

理論としては正しい。私もそう学んだし、確かにその通りだと思います。しかし最近、この言葉を頭の理解だけで語り、中身がスカスカであることが透けて見える人が増えているように感じます。


「努力は必要ない」の理論と現実

コーチング理論では、ゴール側に臨場感があれば、努力感なく自然に行動できると教えます。

私もそう思いますし、実際体感しています。

しかし、この理論を「努力から逃げるための防御策」として使い、未来だけを妄想して今に流れていない人が居ます。努力をする(した)という相手の臨場感を慮ることができない状態だと、言葉では説得力を持たせることができても、その言葉に深みは乗りません。

なぜか?努力の臨場感を体験したことがないからです。


体験の深みが在り方を変える

私自身、最近はスケジュールがはちゃめちゃに立て込んでいます。人の話を聴く仕事、バシバシタスクをこなす仕事、ホロトロピックブレスワーク、バンド活動──キャパを越えそうな状況でも、ある瞬間に火が点いて「ふふふ…私を本気にさせるとは…」という感じで、バリバリ動いてしまう。

イヤでも辛くても、意地でも何とかやっちゃう。そんな時代を生き抜いた経緯もあるせいか、またやり切って体力無くなって毎日倒れるように寝る。やりたいブログ投稿を数日断念した。これは紛れもなく努力です。

「努力しなくても成功できる」という羨望ワードに傾倒していた頃が懐かしい。でも今は違います。この努力をやったからといって現状の外に移行するとは思えない。ただやりたいわけでもないけどゲーム感覚のように火が点いたり、ただ気になったから通っていたり、ただ趣味として楽しいから。そんな理由しかありません。


努力の体験こそが、深みを育てる

コーチング理論とは対極のことを発信してしまうかもしれませんが、こう思うのです。

一度、「存在に深みがでる」というゴール側から観たうえで、勝ち負けや比較なんかに拘って、めっちゃ努力をしてみる経験も、ある意味ゴール側に移行するための重要なinvent on the wayなのではないか?

複数人で発揮する相乗効果やフロー状態の感覚など、不思議な力の波に乗っているような高揚した体験ができる可能性が高いでしょう。そして、その臨場感体験を身に沁みて経たうえで、「あぁ、努力って必要ないってのが腑に落ちた」と実感する。

この実感こそが、自分の根っこをより一層深く長く育てるのです。


パーソナルが利他として波及する瞬間

根っこが深く育つと、何が起きるか。

パーソナル(あなたの在り方)が周りに利他として自然と波及していることに気づきます。自分は何かしたつもりはないのに、なぜか周りから「ちょっと聴いてください」と話しかけられることが増えていきます。

これが、本当の意味で「努力は必要ない」状態です。

でも面白いことに、そうなるとまた時間を使うので、スケジュールがさらに立て込んで余裕が無くなるんですけどね!

・・・そんな瞬間も楽しめればなお良い、ということです。


言葉の深みは、体験から生まれる

「比較なんて愚の骨頂だ」「努力はコスパが悪い」「勝ち負けじゃないんですよ」

これらの言葉は、誰かに教わって発しているだけなら、薄っぺらいものになります。しかし、実際に身に沁みて実感する目に遭った上で発しているなら、深みとして表れます。

相手の話を聴くとき、はたまた狙ったわけでもなく求心力を発揮してしまうとき。その深みは、理論の理解ではなく、体験の蓄積から生まれるのです。


「努力は必要ない」の本当の意味

「努力は必要ない」という言葉は、理論としては正しい。しかし、それを本当に体現できるのは、努力の臨場感を体験し尽くした人だけです。

努力を知らずに「努力は必要ない」と語る人と、努力を知り尽くした上で「努力は必要ない」と語る人。言葉は同じでも、その深みはまったく違います。

理論を学ぶことは重要です。しかし、理論を生きるためには、体験が必要なのです。


体験こそが、存在の深みを育てる

コーチング理論を学び、「努力は必要ない」と知る。それは素晴らしいスタート地点です。

しかし、その理論を防御策として使うのではなく、一度、本気で何かに取り組んでみる。勝ち負けに拘ってみる。比較に巻き込まれてみる。めっちゃ努力してみる。

その体験を経たとき、「あぁ、努力って本当に必要なかったんだ」と腑に落ちる。その腑に落ちた状態こそが、存在としての深みを生み出します。

そして、その深みが、自然と利他として波及していく。狙わずとも、求心力として表れていく。

これが、本当の意味で「努力は必要ない」状態なのではないでしょうか。


最後に:理論を生きるということ

理論を知ることと、理論を生きることは違います。

「努力は必要ない」と知ることと、「努力は必要ない」を体現することは違います。

体験の深みが、在り方を変える。在り方が変われば、周りが自然と変わっていく。

理論を学んだなら、次は体験する番です。そして体験を経て、もう一度理論に戻ってくる。その往復運動こそが、存在の深みを育てていくのです。

みんな生きているのですから、「理論的に正しい」とされている道だけを選べば良いのか?それも体験を積めば見えてくるということです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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