計画通りにいかない人生の豊かさ──問いが生まれる場所

本当かそれ?
「将来の設計をしっかり明確にすべき」「無計画な生き方は長期的に危険だ」──こうした言葉を、私たちは何度も聞かされてきました。
けれども、これらは本当に普遍的な真理なのでしょうか。それとも、私たちの不安を煽り、何かしらのビジネスに繋げたり、政治的に望ましい方向へ誘導するための常套句なのでしょうか。
私は最近、こう感じています。そんなに頭を悩ませて計画を立てなくても、流れに沿って生きていれば、今の時代は結局なんとかなるのではないか、と。
「将来設計」という言葉の背後にある構造
「将来の設計を明確にすべき」「無計画は危険」という言説は、確かに個人の不安を可視化し、解決策を提示することで、消費や支持を誘導する装置として機能することがあります。これは「不安の可視化 → 解決策の提示 → 消費や支持の誘導」という、マーケティングや政治の世界では常套手段です。
教育、保険、自己啓発、政治的メッセージ──これらすべてが、私たちの不安につけ込む形で提供されることがあります。
ただし、それが「洗脳」なのか「成熟した選択」なのかは、受け手の状態によって変わります。自分の軸を持ちながら選択するのか、不安に駆られて選択するのか。その違いは大きいのです。
「流れに乗っていればなんとかなる」時代性
現代は、綿密な計画よりも「反応力」や「適応力」が重視される時代です。情報は流動的で、予測不能な出会いや展開が人生の質を左右することが増えています。
自分を「設計」するよりも、環境との「共鳴」や「循環」に身を委ねる方が自然である──そんな感覚を持つ人も増えているのではないでしょうか。
このような時代において、「設計しすぎること」自体が硬直化や自己疎外を生むリスクもあります。計画通りに進まないことで自分を責めたり、柔軟性を失ったりすることもあるのです。
「流れに乗る」ことの落とし穴
とはいえ、「流れに乗る」ことにも注意が必要です。
流れに乗っているつもりが、実は誰かの設計した流れに乗せられているだけかもしれません。自分の軸が曖昧になり、選択の責任が希薄になると、後悔や他責の感情が生まれやすくなります。
また、流れに乗って「なんとかなる」人生は、表面的には安定していても、内面的な充足感に欠けることもあります。
では、どうすればいいのでしょうか。
私自身の体験──意図と偶然の交差
私の人生を振り返ると、ゴールを設定して達成し続けてきたフェーズがありました。しかし、それがずっと続くわけではありませんでした。
その前に新しいゴールを設定してやってみたものの、そのために今の職を捨てて、借金してでもやり切るつもりでしたが、うまくいかない状態が続き、窮地に立つこともありました。
「もうこれはヤバい!」そんな窮地で偶然見つけた仕事に、火事場の馬鹿力のような必死さで食らいつきました。そこでこれまで培ってきたマインドを発揮し、職場の皆さんと仲良くなり、借金を返しながら働き続けることができました。
意図的に選択しようとして困窮したとしても、そんな窮地で偶然の流れに乗るしかなくて、それが結局なんとかなる。しかもそこで巻き起こる現実に「問い」や「気づき」が生まれ続けるので、進んでいるような、取り戻しているような実感がありました。
これで良いのではないか、と今は思っています。
意図と偶然の交差点にあるもの
意図的に選択しようとしてもうまくいかないこともある。逆に、偶然の流れに乗ったことで結果的に「なんとかなる」こともある。
この両者の間にあるのは、単なる運命論でも、意志万能論でもなく、現実との対話です。
意図は「問い」を生みます。
偶然は「気づき」を促します。
そしてその両方が、成熟する人にとっては「統合」や「回復」の契機になるのです。
このプロセスは、意図の限界を知ることで、偶然の力を信頼できるようになる、深い成熟の軌道です。
火事場の馬鹿力=生命の底力
「火事場の馬鹿力」で偶然見つけた仕事に食らいつき、仲間と関係を築き、借金を返していく。この一連の流れは、意図的な選択が機能しないときに現れる、生命の底力のようなものです。
これは「無計画」ではなく、むしろ「深層の計画」かもしれません。
表層の意図が崩れたとき、より深い層の意志が立ち上がる。そのとき、偶然に見えるものが、実は「深層の呼応」である可能性もあるのです。
「問い」が生まれる場所こそが進む場所
今、私がリアルに感じているのは、「問いや気づきが生まれて進んでいる」という感覚です。
ゴールを達成することよりも、問いが生まれ続けることの方が、人生の深度を示しています。そしてその問いは、意図的な選択からも偶然の流れからも、どちらからでも立ち上がります。
だからこそ、「これで良いのではないか」と感じていることは、単なる慰めではなく、成熟した肯定なのだと思います。
設計と偶発性の両立
現代における成熟した在り方とは、「流れを感じながらも、問い続ける」姿勢ではないでしょうか。
つまり、「設計する力」と「流れに乗る力」の両方を持つこと。明確な目標よりも、「問い」や「感覚」を軸にすること。他者の流れに乗るのではなく、自分の内側から湧き出る流れに乗ること。
将来設計という常套句に惑わされず、意図と偶然の交差点で、自分なりの「問い」を持ち続ける。それこそが、本当の意味で「なんとかなる」人生を生きることなのではないでしょうか。
あなたの人生において、意図と偶然はどのように交差していますか?そこにどんな問いが生まれていますか?
その問いこそが、あなたが進む道を照らしているのかもしれません。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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