なぜ私はコミュニティの違和感に敏感なのか – 自然と不自然の境界線

コミュニティに対する切り込み

コミュニティと称されるものに対する違和感について、切り込みたい。

世の中には(日本だけでも)多くのコミュニティが存在していて、いろんな人がいろんなコミュニティに属しているのですが、私はなぜ、こうもいち早くそのコミュニティが内包する違和感に気づけるのだろうか?


例えば、「これはすごい!」と感銘を受けたことがあって、そのすごさにもっと触れてみたいとコミュニティに参加してみると、すぐにその参加者たちが創り出す「場」の違和感に気づく。

また、「あぁ、このコミュニティにシンパシー感じる」とコミュニティ自体は素晴らしいと思っても、そのコミュニティに目を付けた人が編集したパッケージを拝見すると「あぁ、本質を歪めさせている」と違和感に気づく。しかもその編集した側が主催したコミュニティの「場」に居ると、即違和感を感じる。

また、なにかしらで名前が知られるようになった人が超絶言語化が上手で、その人自体は素敵なのですが、その魅力的な人と言葉に中毒になっているだけの人に違和感を感じている。

ライブを見に来て、純粋にライブを心から楽しんでいるのは素敵だが、かっこいいバンドマンのメンバーを狙うために来たのか、ただ演奏者に妄信しているだけなのか、わからない人に違和感を感じる。


自然なコミュニティの臨場感がある

私が、いち早くコミュニティに内包されている違和感にいち早く気づけるのかは、自分のバンドで自然に内側から湧き上がるものを表現した結果、私たちのその表現に自分の内側から湧き上がるものが共鳴した人が集まって、小さいシーンを築いた臨場感を持っているからだと思います。

こちらも自然な表現だし、共鳴した人も自然なんです。


コミュニティ形成の三つのパターン

コミュニティが生まれるきっかけを観察すると、大きく三つのパターンがあることが分かります。

1. 自然発生型:「ふとこう思ったから」

「ふとこう思ったから、こうしたいな」という自然な表現から始まるコミュニティ。表現者が内側から湧き出るものを素直に表現し、それに共鳴した人たちが自然に集まってくる形です。

このタイプのコミュニティでは、お互いの純粋な内側の部分を揺らし合いながら、良いことも悪いことも含めて自然な流れで進んでいきます。

2. 反発・闘争型:「絶対に居場所を作ってやる」

「普通とされているものが私と合わないから、絶対に自分の居場所を作ってやる!」という、何かに対する闘いから生まれるコミュニティ。

賛同や妄信という形での共鳴は生まれますが、根底に闘いがあるため、本質的に不自然な緊張を含んでいます。

3. ビジネス・戦略型:意図的な場づくり

ビジネスのための「場」作りとして設計されるコミュニティ。「参考にしたい」「学びたい」という動機での参加者が中心となります。

意図やコントロールによって構築されるため、やはり不自然さが内在しています。


拡大が生む本質の希薄化

不自然なコミュニティでも、世間にアピールできる実績が出たりコミュニティ自体が拡大することで、主催者は優越感や喜びを感じるかもしれません。しかし、称賛による拡大は新たな問題を生み出します。

最初のきっかけが曖昧な人々が参加してくるようになり、より不自然さが増していくのです。しかし当事者たちは末端まで見渡せず、拡大の喜びに包まれているため、この不自然さの増大に気づきにくくなります。


自然と不自然の決定的な違い

自然なコミュニティと不自然なコミュニティの違いは、参加者同士の関わり方に現れます。

自然なコミュニティでは、お互いの純粋な内側の部分を揺らし合い、予期しない化学反応や成長が生まれます。良いことも悪いことも受容し、コントロールしようとせず、流れに身を任せることができます。

不自然なコミュニティでは、お互いのコントロール欲求を刺激し合い、本来自然に生まれるはずのひずみや矛盾を抑え込みながら、設定された目的に向かって突っ走ります。


なぜ敏感に察知してしまうのか

コミュニティの違和感に敏感な人は、おそらく「内側から溢れ出るものを共鳴し合いながら生きていきたい」という深い欲求を持っているのでしょう。

一度でも純粋な共鳴を体験したことがある人なら、不自然なコミュニティの構造は言葉にしなくても自然に感じ取れてしまいます。それは感度の問題であり、良い悪いの話ではありません。


どちらも価値ある試み

重要なのは、自然なコミュニティも不自然なコミュニティも、それぞれに価値があるということです。

戦略的に構築されたコミュニティは、効率的に知識を伝達したり、具体的な成果を生み出したりする力があります。反発から生まれたコミュニティは、既存の問題に対する強力な改革エネルギーを持っています。

問題は、自分の性質とコミュニティの性質のミスマッチです。

どちらも素晴らしい試みなのですが、私の在り方が、「内側から溢れ出るものを共鳴し合いながら生きていきたい」と感じているので、不自然さに違和感を感じて、離れるのでしょう。


自分の性質を理解する

もしあなたがコミュニティに参加するたびに違和感を覚えるなら、それは欠点ではなく、あなたの持つ特別な感度かもしれません。

その感度は、純粋な共鳴や自然な表現を求める内的な指針の現れです。無理に馴染もうとせず、その感度を大切にすることで、本当に自分に合った形の関わり方や表現方法を見つけることができるでしょう。


純粋な共鳴を求めて

内側から溢れ出るものを共鳴し合いながら生きることは、効率的ではないかもしれません。しかし、そこには他では得られない深い満足感や成長があります。

コミュニティの違和感に敏感なあなたは、もしかすると、まだ見ぬ純粋な共鳴の可能性を探している途中なのかもしれません。その探求は、決して無駄ではありません。

自分の感度を信頼し、本当に共鳴できる場や表現を見つけるまで、その感覚を大切にしてください。それこそが、あなたらしい生き方への道標なのですから。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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