「コーチングに惹かれる人々の煩悩と、その先にある“自分らしさ”

コーチングに惹かれる理由を、煩悩から読み解く

「コーチ」と名乗る人はたくさん居ます。SNSを開けば、「自分らしく生きる」「本当の自分を取り戻す」といった言葉が並び、自己啓発の香りが漂う。だが、私はふと立ち止まって考える。なぜ人は、コーチングに惹かれるのか?その動機は、純粋な自己探求なのか、それとも別の欲望なのか。

多くの場合、コーチングに興味を持つきっかけは、社会の中での不全感だ。キャリアが停滞している、他人と比べて劣等感を抱いている、自分の価値が見えなくなっている。そんなとき、人は「もっと特別な自分になりたい」と願う。そして、「not normal」な自分を演出し、他者との差異を誇示することで、承認欲求を満たそうとする。

これは煩悩だろうか?そうかもしれない。だが、煩悩を否定することは、私たちの人間性を否定することでもある。むしろ、煩悩を認めたうえで、その奥にある「本当の願い」に耳を傾けることが、自己探求の第一歩ではないか。


欲望を正面から見つめる

コーチングに惹かれる人の中には、「人を導きたい」「誰かの役に立ちたい」という欲求を持つ人もいる。だがそれもまた、自己重要感を満たす手段になり得る。「導く者」としての立場は、無意識のうちに自分の価値を証明する装置になる。肩書きに頼ることで、自分の不安を覆い隠す人もいるだろう。

では、こうした欲望をすべて否定すべきなのか?私はそうは思わない。むしろ、それらを見ないふりせず、正面から見つめることが必要だ。「自分らしく生きる」とは、欲望を抑え込むことではなく、欲望の中にある本質を見極めることだ。


抜きん出ているわけではない

「自分らしさ」とは、他人と違うことではない。特別であることでもない。それは、他者との比較を超えて、自分の内側にある静かな声に耳を傾けることだ。誰かに認められるためではなく、自分が納得できる生き方を選ぶこと。その選択には、煩悩も承認欲求も含まれていていい。ただ、それに振り回されるのではなく、意識的に選び取ることが「自分らしさ」なのだ。

コーチングという世界には、演出も虚構もある。だがその中に、真摯な探求もある。私たちは、その両面を見つめながら、自分自身の欲望と向き合い、問い続ける必要がある。

「私は、なぜそれを求めるのか?」 「その欲望の奥に、どんな痛みや願いがあるのか?」 「それを認めたうえで、私はどう生きたいのか?」

この問いを繰り返すことが、コーチングに限らず、あらゆる自己探求の本質だと思う。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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