最悪な状況と最悪な事態の決定的な違い

震える手の向こう側

あなたは今、何かを恐れているのではないだろうか。「こうにだけはなりたくない」という強烈な思いに支配されて、その可能性を考えただけで胸が締め付けられるような感覚を味わっているのではないだろうか。

私もそうだった。長い間、そうだった。


恐怖という名の牢獄

かつての私は、様々な「絶対に避けたいこと」のリストを心に刻み込んでいた。失敗すること、恥をかくこと、人に嫌われること、期待を裏切ること。そのリストは日々長くなり、私の行動範囲を狭めていった。

恐怖は巧妙だった。「これを避けていれば安全だ」と囁きながら、実際には私を小さな檻の中に閉じ込めていたのだ。


味わい尽くすという選択

でも、どうしてもやりたいことができた。今までの自分のままでは、到底できないこと。だから、現状の外に移行するしかなかった。

「現状の外に移行しようとすることで、避けていることが実現するかもしれない」

「そんなんで踏み出さずに留まっていたら、ずっとこのままだ」と言い聞かせて踏み出した。でも、最悪なことにならないように恐る恐る進んだ。「恐る恐る」というくらいだから、恐怖していることの臨場感を強く感じていた。

最悪な状況は、静かだが急にやってきた。


最悪な状況の中で

恐れていた状況が現実になった時、私は予想通りパニックになった。冷静ではいられなくなり、ガクガク震えて、呼吸を整えるのもしんどかった。客観的に見れば、きっと情けない姿だっただろう。

ある時、私は決断した。もう逃げても形を変えて恐怖はやってくる。恐怖と正面から向き合ってみよう。それも、中途半端にではなく、徹底的に味わい尽くしてみよう。

すると、不思議なことが起こった。

その情けない自分を、ただ観察し続けた。震える手を見つめ、乱れる呼吸を感じ、混乱する思考をそのまま受け入れた。逃げずに、隠さずに、ただ味わい続けた。


恐怖の正体

味わい尽くしていく過程で、驚くべきことに気づいた。あんなに「こうにだけはなりたくない」と思っていたことが、だんだん「どちらでもよくなる」のだ。

恐怖の対象そのものは変わらない。でも、それに対する自分の反応が変化していく。まるで氷が溶けるように、悩みが溶けていく。


最悪と最悪の違い

結局、恐怖を感じていた状況にはなった。でも、その状況で「こうなってしまうのではないか?」と想像していた事態にまでにはならなかった。

最悪な状況だが、最悪な事態までにはならない。この微細だが決定的な違いを、身をもって理解した。


神経の図太さへの変容

情けない自分の姿を受け入れ、相手に対する罪悪感を味わい尽くした時、何かが根本的に変わった。「絶対にそうなってはいけない」という硬直した思いが、「そうなっても、どうにかなる」という柔軟な受容に変容したのだ。

これは諦めではない。神経の図太さとでも呼ぶべき、新しい強さだった。


恐怖から好奇心へ

今の私は、時々こう思う。「どんなことになるのが恐怖だろうか?」と。

まだ見ぬ恐怖がやってくるとは思う。でもこれは自虐的な思いではない。むしろ、好奇心に近い感情だ。なんとかしていくことで、予想もしなかった展開を楽しむことができるかもしれない、という期待感すらある。


可能性という扉

恐怖を避け続けている間、私は多くの扉を閉ざしていた。「もしも失敗したら」「もしも傷ついたら」「もしも恥をかいたら」——そんな「もしも」が、可能性の扉に南京錠をかけていた。

でも恐怖を味わい尽くすことで、その南京錠は一つずつ外れていく。扉の向こうには、想像もしていなかった景色が広がっている。


あなたの恐怖は何ですか?

今、あなたを縛り付けている恐怖は何だろうか。その恐怖が、どれほど多くの可能性を閉ざしているだろうか。

もしかすると、その恐怖を味わい尽くしてみる時が来ているのかもしれない。震えても構わない。情けない姿を見せても構わない。それもまた、あなたの真実の一部なのだから。


恐怖という贈り物

振り返ってみると、恐怖は私にとって最高の教師だった。それは私を小さくするためにやってきたのではなく、私を大きくするためにやってきたのだと、今なら理解できる。

あなたの恐怖もまた、あなたへの贈り物かもしれない。

その贈り物を受け取る勇気を、あなたは持っているだろうか?

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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