ともしびとして生きる〜完璧でない愛の実践〜

~多様性の海で見つける、本当の愛の形~
「相手が何を言おうが、何をしようが、どういう状況にあっても、見返りを求めず、無条件の愛を注ぐ」
この言葉に触れるとき、多くの人は深い感動を覚えるでしょう。そこには利他的な美しさがあり、条件付きの愛に慣れ親しんだ私たちにとって、まさに聖人君子のような人格を感じさせます。そして心の奥底では、「そう在りたい」という憧れを抱く人も少なくないはずです。
しかし、現実世界で日々様々な人々と関わる中で、この理想がいかに困難なものかを実感せずにはいられません。私自身も、身近な家族や友人から始まり、同じ日本に住む見知らぬ他人、そして文化的背景が全く異なる海外の方々まで、毎日のように関わっております。この多層的な人間関係の海において、誰に対しても「無条件の愛を注ぐ」ことは、ほとんどの人にとって現実的ではないのではないかと感じているのです。
文化の衝突が教えてくれること
インターネットやグローバル化により、私たちは今まで以上に多様な価値観と直面する機会が増えました。高尚な理想として「世界平和」や「無条件の愛」を掲げるのであれば、まずは「お互いに知り合いである」という条件の安全圏を離れたうえで、様々な国の人々との生のコミュニケーションに身を置いてみることをお勧めします。
そこで待っているのは、時として激しい戸惑いや憤りかもしれません。「違う国の当たり前」に直面したとき、私たちの内側に眠る「自分の物差し」がいかに強固なものかを思い知らされるのです。これは決して恥ずべきことではありません。むしろ、人間として自然な反応なのです。
重要なのは、そうした感情を否定することではなく、それらと真摯に向き合うことです。異なる価値観を持つ人を目の前にして湧き上がる様々な思いを味わい尽くすとき、不思議なことに、少しずつ「赦し」の感覚が芽生えてくるものです。しかし、それでもなお、どんな人に対しても無条件の愛を注ぐという境地に至る道のりは、果てしなく感じられるのが正直なところでもあります。
「ともしび」としての在り方
現時点で私が到達している理解は、無条件の愛を義務や条件として自らに課すのではなく、もっと自然で持続可能な在り方があるのではないかということです。
まず大切なのは、自分自身をありのままに受け入れ、大切に温めることです。自分の内側に灯る小さな光を育てることで、自然と周囲を明るく照らす「ともしび」のような存在になることができる。これは強制的な愛ではなく、存在そのものから自然に溢れ出る温かさです。
同時に、社会的な存在として他者と関わる際には、反応的になったり、時には呆れてしまったりすることがあっても構わないのです。「無条件の愛を注がなければならない」という条件に縛られることなく、その瞬間瞬間の状況に真摯に向き合い、そこで生まれる感情や体験を丁寧に味わっていく。この積み重ねこそが、本当の意味での愛の実践なのかもしれません。
縁起で繋がる世界の中で
長年生きてきて実感するのは、自分も相手も、一挙手一投足に至るまで千差万別であるということです。そして私たちは皆、縁起によって複雑に繋がり合いながら、この社会を構成している存在でもあります。
完璧な無条件の愛を目指すのではなく、「無条件の愛を含んだ在り方」で社会との関わりを体感していく。これは理想論ではなく、極めて実践的なアプローチなのではないでしょうか。
時にはうまく運ばず、時には相手を理解できず、時には自分の限界を感じながらも、それでも愛を志向し続ける。その不完全な歩みの中にこそ、本当の無条件の愛への道筋が隠されているのかもしれません。
愛は完成されたゴールではなく、日々を生きる中で育まれ続ける、生きたプロセスなのです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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