正義の陰性波動論 -認知的不協和としての正義執着

社会的に高く評価される正義の影

正義感の強い人は、社会的に高く評価される傾向がある。その姿勢は一見して高潔であり、人格者としての風格を漂わせる。しかし、この一見美しい特質には、深刻な影の側面が潜んでいることを認識する必要がある。


正義感の二面性と感情の質

正義感そのものを否定する必要はない。問題は、その動機と感情の質にある。表面的な高潔さの背後には、しばしば自分の価値観への強固な執着や、異なる意見に対する根深い不寛容さが隠されている。

心理学的に見ると、これは「認知的不協和」を回避しようとする防衛機制の現れでもある。自分の信念体系を絶対視することで、複雑な現実と向き合うことを避けているのだ。その結果、「自分の正義に反する者」に対して極端な感情的反応を示し、時には攻撃的なエネルギーを周囲に撒き散らすことになる。


分断を生む「絶対正義」の危険性

「自分は正しい」という確信が過度に強くなると、反対意見を持つ人々を「悪」として断罪する傾向が生まれる。これは本質的に二元論的思考であり、複雑な現実を単純化しすぎる認知的偏向である。

現代社会のように価値観が極度に多様化した環境では、この危険性はより顕著に現れる。SNS上での炎上現象などは、まさにこの「絶対正義」の衝突が生み出す典型的な事例だろう。正義感に駆られた批判が感情的対立を激化させ、本来解決すべき問題から議論が逸脱してしまう。


文化的相対性への洞察

ここで重要な思考実験を提示したい。もし自分が、現在「悪」と判断している行為が当たり前とされる文化や社会で生まれ育っていたらどうだろうか。おそらく、何の罪悪感も躊躇いもなく、その行為を「当然のこと」として実行していた可能性が高い。

この認識は、道徳的相対主義を推奨するものではない。むしろ、自分の価値判断がいかに文化的・社会的文脈に依存しているかを理解し、謙虚さを保つための視点である。文化人類学の知見からも、絶対的な善悪という概念そのものが、特定の文化的背景を持つことが明らかになっている。


建設的正義感の条件

では、真に建設的な正義感とはどのようなものだろうか。それは以下の要素を含むものと考えられる:

  1. 自己の価値観を保持しながらも、他者の視点を理解しようとする柔軟性
  2. 複雑な現実を受け入れる包容力
  3. 自分の感情や動機を客観視するメタ認知能力

これらの能力は、単なる相対主義的な無関心とは異なる。むしろ、より高次の統合的思考を必要とする。


自他一如の視座と自然な波及

最も深いレベルでは、「自他一如」という東洋思想の概念が有効な指針となる。この視座からは、他者との対立も自己内の葛藤の投影として理解される。

この理解に到達すると、積極的な改善行動や和解への取り組みさえ、必ずしも必要ではなくなる。ただ自分が統合的な在り方を保持することで、その波動は自然に周囲に影響を与える。社会的な場面で異なる正義観と対峙した際も、メタ認知を維持しながら適切に対応すれば十分である。


統合的アプローチの実践

この統合的視座を実践するためには、日常的な自己観察が不可欠だ。自分の正義感がどのような感情に基づいているのか、その動機は執着から来ているのか、それとも真の慈悲から生まれているのかを常に問い続ける姿勢が求められる。

目の前で繰り広げられることに「赦せない」という発火が起きたときや、自分の価値観と真逆の行為をする人に対して、「その行為がうまくいかないこと」を望んでいたりしていることに気づけるか?そしてそんな自分の一面もあることを抑え込まずに受容すること。

正義感そのものを放棄するのではなく、それをより成熟した形に昇華させること。これこそが、分断ではなく統合を生み出す真の正義感への道筋なのではないだろうか。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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