なぜ「できる」と思い込む人ほど行動できないのか

エフィカシーはすごい

「自分にはできる」と思い込んで行動することの効果は、成功哲学や自己啓発の分野で広く支持されている。確かに、この手法により世界では数多くの偉業が成し遂げられてきた。しかし、この一見ポジティブなアプローチには、意外な落とし穴が潜んでいることがある。


ポジティブ思考の逆説的な罠

「自分にはできる」という思い込みの背後には、しばしば「できないかもしれない」という恐れが隠されている。この内的葛藤は、心理学でいうところの「反動形成」の一種である。表面的なポジティブな信念は、実は深層の不安を打ち消すための防衛機制として機能している場合がある。

この状態では、「行動して失敗する」ことへの恐怖が無意識に働き、結果的に真の行動を回避してしまう。その代替行為として現れるのが、過度な情報収集や他者への応援といった「疑似行動」である。


情報収集という名の逃避

情報収集は確かに重要だが、それが行動の代替品として機能している場合は注意が必要だ。情報を集め続けることで「準備をしている」という錯覚を得られるため、実際に行動しない言い訳として利用されることがある。

この状態では、臨場感のある体験は一切得られない。情報は二次的な知識に留まり、身体的・感情的な学習機会を失う。結果として、情報の渦に呑まれ、現実世界での具体的な変化を生み出すことができなくなる。


代理行動としての他者応援

他者を応援することも、時として自己実現の代替行為となる。応援者として他人の成功を見守ることで、間接的に達成感を味わおうとする心理である。

しかし、この場合、自分のエネルギーは応援対象に向けられ、自己の内発的動機や創造性は活用されない。結果として、「自分ならできる」という本来の湧き立つような感覚からは遠ざかってしまう。


思考を超えた直観的行動

これらの問題を超越する方法として、「思わずやってしまう」という自然な行動パターンがある。これは、「こうしたい」という想いが湧き上がった時に、結果への思考を挟まずに即座に行動に移すアプローチである。

この状態では、達成感や損得勘定といった二次的な思考は働かない。純粋に「なぜか気になったこと」に対する好奇心だけが行動の原動力となる。この種の行動は、予測可能な範囲を超えた「現状の外」の体験をもたらす可能性が高い。


予測不可能性がもたらす創造性

「やってみたらどうなるのかな?」という素朴な疑問から生まれる行動には、計画的な行動では得られない創造性がある。なぜなら、結果を予測せずに行動することで、既存の思考パターンや枠組みから自由になるからだ。

この種の体験は、自己の認識を根本的に拡張し、新たな可能性の領域を開く。「こうしたい」という明確な意図に基づく行動も確かに価値があるが、意図を超えた偶発性から生まれる体験には、別種の豊かさがある。


両方のアプローチの統合

「自分にはできる」と思い込んで目標を実現することと、「なんとなく気になったことを試してみる」こと。この二つのアプローチは対立するものではなく、むしろ相互補完的な関係にある。

重要なのは、どちらか一方に固執するのではなく、状況や内的な感覚に応じて柔軟に使い分けることだ。時には明確な意図を持って行動し、時には思考を手放して直観に従う。この両方の能力を育むことで、より豊かで創造的な人生を築くことができるだろう。

情報収集や他者応援という「安全地帯」から一歩踏み出し、不確実性を受け入れながら行動する勇気。それこそが、真の成長と発見への扉を開く鍵なのかもしれない。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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