有名人の言葉が響かなくなったとき、人生の意味は変わる

多くの自己啓発やコーチングの文脈では、「現状の外」にゴールを設定し、方法が認識できて達成できる、という考え方が前提になっています。確かに、強烈な理想を描き、その達成に向けて行動するプロセスは、人間にエネルギーを与え、変化を促す強力な方法論です。しかし、この「理想=意味」という構図は、必ずしも唯一無二の真理ではありません。むしろ実践を続ける中で、多くの人が気づかぬうちに別の位相へと移行していきます。
私自身も当初は「現状の外のゴールを明確に設定し、そこに到達することが人生の中心である」という立場を信じていました。目標を掲げ、それに沿った行動を積み重ねることで、未来の理想像が現実化していくという、いわば直線的な因果論です。しかし興味深いのは、一定の実践を経た後、そうした「直線的追求」の強度が次第に薄れていったことです。代わって現れてきたのは、流れそのものに身を委ねるような在り方でした。
このとき起こるのは、単に「理想をあきらめる」ことではありません。むしろ、思いもよらない方向から「現状の外」が立ち現れてくるのです。言い換えれば、未来の理想像を一点に固定してそこへ突き進むのではなく、複数の可能性の流れに開かれていくことで、予期しない新しい現実へと移行していくプロセスが始まるのです。
興味深い副作用として、この「流れ」に移行してからというもの、かつて頻繁に目にしていた「著名人の言葉」や「立派な実績のエピソード」といった情報が、私の前に現れなくなりました。あれほど自分を鼓舞し、意味づけていた外部の権威的な声が、ある時期を境にほとんど消失したのです。これは決して情報収集をやめたからではなく、むしろ自分の内的関心が大きく変化した結果として、知覚フィルターが変わったと解釈するのが妥当でしょう。
認知科学的に言えば、注意の配分やサリエンス(顕著性)のネットワークが再編成され、これまで「重要」として捉えていた外部の権威的情報が、もはや自分にとって顕著ではなくなった、ということです。これは単なる気分の変化ではなく、情報処理レベルでのシステム転換です。
その結果、私が日々遭遇する「意味づけの源泉」は、他者の偉大な言葉ではなく、自らが体験する現実の流れそのものになりました。つまり、人生の意味は「未来に設定された理想像を実現すること」ではなく、「いまこの瞬間に流れとして立ち現れている現実と応答し続けること」へと変化したのです。
ここで重要なのは、どちらが「正しい」かではなく、この移行プロセスを自覚できるかどうかです。理想追求型のアプローチは強力であり、多くの場合それを通じて初めて「流れ」という別の地平に開かれる。しかし、流れに身を委ねる位相に移行したとき、理想実現というかつての絶対的意味づけは、単なる一つの通過点に過ぎなかったと気づくのです。
人生の意味を「理想の実現」に固定することは、確かに強力なドライブを生みます。しかし、その先に「思いもよらぬ現状の外」への移行があることを理解するなら、私たちはより自由に、そして柔軟に生きることができるのではないでしょうか。
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