
短期効果や理論が魂を自由にしない理由
私たちは生まれ落ちた瞬間から、無数の「正しさ」に囲まれて育ちます。
家庭の中の価値観、学校での規律、社会が称揚する成功モデル——それらは一見すると多様ですが、どれも「あなたはこうあるべきだ」という方向付けを伴っています。
この「正しさ」は、秩序や共同体の維持に一定の役割を果たしますが、一方で、私たちの奥底から湧き上がる「魂の声」を覆い隠します。魂の声はしばしば非合理的で、既存の枠組みから見れば逸脱的です。それゆえ、私たちはそれを聞き取ったとしても、すぐに「これは間違っているのではないか」と自ら検閲してしまいます。
では、この抑圧を解き、魂の声を再び発するにはどうすればいいのでしょうか。
その過程は、玉ねぎの皮を一枚一枚剝く作業に似ています。
外側の厚い皮は、明らかな世間的規範です。「安定した職業に就くべき」「失敗は避けるべき」といった言葉で表されます。それを取り払っても、すぐ下には、より微細な層——「成長し続けねばならない」「人の役に立たねばならない」といった、一見ポジティブに見える正しさ——が現れます。
多くの人は、この第二層以降で作業をやめてしまいます。なぜなら、それは「進歩的」で「自分で選んだ」正しさのように見えるからです。しかし、抽象度を変えても、階層を上がったように見えても、その本質が「別の正しさへの依存」である限り、魂の声はまだ覆われています。
短期的な効果を謳う画期的な手法や、体系立てられた理論を学ぶことも、この罠に陥りやすい。新しい正しさに飛びつき、それを信じることで、一時的な安心や高揚は得られますが、それは古い皮を新しい皮に置き換えただけのことです。抽象度の階層が異なるだけで、抑圧の構造は温存されています。
真の意味で魂の声を許可するとは、この「正しさの多層構造」を見抜き、全ての層を一時的にでも手放すことです。そこには「こうすべき」も「こうであるべき」も存在せず、ただ内側から湧き出る感覚と衝動があります。それはしばしば言語化しづらく、周囲の理解を得にくいものですが、そこに触れると、不思議なほどの静けさと確信が訪れます。
そして、この作業は一度きりで終わるものではありません。日常を生きる中で、気づかぬうちにまた新しい皮をまとい、それを剝く——その往復こそが、自分を生きるという営みの本質なのです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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