
不足感から自由になる生成の在り方
私たちが「人生を動かさねば」と焦るとき、その背景には、多くの場合「現状はまだ完成していない」という暗黙の前提が横たわっています。この前提は、意識的であれ無意識的であれ、「不足感」という形で感覚化され、行動の原動力にも、同時に足かせにもなります。
しかし、認知科学や生成システム論の視点から見ると、この「不足感に基づく推進力」は、自己組織化の自然な巡りを阻害する場合があります。なぜなら、私たちの認知系は、焦りや恐れを起点とした目標設定において、視野を狭め、既存の解決パターンに固着する傾向があるからです。これを心理学的には「問題解決モードの過剰適用」と呼ぶことができます。
一方で、「全ては勝手に巡る」という立場に身を置くことは、認知系の作動条件を根本から変えます。ここでいう「巡る」とは、外界の出来事や内的な感情・気づきが、相互作用のネットワークの中で絶えず生成・変容していくダイナミズムを指します。このプロセスは、私たちの意志によって一方的に制御されるものではなく、むしろ私たちがその一部として関与している現象です。
この視座に立つと、「何かをしなければ現状は変わらない」という思い込みが解け、「今、目に入ったもの」「ふと気になったこと」を手がかりに行動することが、最も生成的で予測不能な展開をもたらすことが見えてきます。ここで重要なのは、行動の起点が不足感ではなく、好奇心や微細な引力であることです。こうした行動は、既存の認知フレームをゆるやかに更新し、新たな可能性空間を開きます。
現象学的にいえば、この状態は「現前しているものに対する全的な受容」とも表現できます。未来を条件として現在を裁くのではなく、現在そのものがすでに十分であるという了解に立つ。その上で、「今ここ」に出現した契機に応答していく。このとき、時間は直線的な因果の鎖ではなく、生成的な巡りとして体験されます。
不足感や違和感は、必ずしも取り除くべき「障害」ではありません。それらは、今までの自己モデルと現在進行中の生成プロセスとのズレを知らせるフィードバックとして機能します。その信号を、コントロールで塗りつぶすのではなく、受け取り、観察し、そのまま巡りの一部に組み込む。こうして初めて、「足りないから動く」という構造から、「充足したまま動く」という構造へと、内的パラダイムが転換します。
すべては勝手に巡ります。私たちはその流れの外に立って舵を取る者ではなく、流れの内にあって、その生成に参加する存在です。その事実を明らめたとき、人生は「開こう」として開くものではなく、すでに開かれつつあるプロセスとして体験され始めます。そして、気づけば、目に入った小さな契機が、想像を超える未来の入口となっているのです。
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