
自力×他力で拓く変容の地平
現代においてコーチングは、自立的な自己成長を支援する手法として広く認知されている。そこに共通しているのは、「人は自らの問いによって、自らを導く存在である」という前提だ。問いが自己を深く掘り下げ、答えが自らの内から立ち上がるという、自力の精神がその根底にある。
一方で、「他力本願」という言葉がある。多くの人はこれを「他人任せ」や「依存的な姿勢」と解釈しがちだが、もともとの仏教的文脈において、他力とは「自己努力を超えた、不可視のはたらきに身を委ねる」ことである。つまり、自力の限界を認めたうえで、それでもなお深く開かれていく姿勢を指す。
ここに、コーチングの実践が陥りやすいパラドックスがある。
「自分で変わらなければならない」という強迫観念は、ともすれば“できない自分”への過度な失望や、自責のループを生み出す。そしてその裏には、「自己変容とは、意志によって完全に制御可能なものだ」という誤解が潜んでいる。
だが、実際の変容のプロセスにおいては、自力による明確な努力と、他力とも呼ぶべき不可知の契機が共に作用する。コーチングセッションの中で、ふと落ちてくる沈黙のひとしずく。誰の言葉でもなく、何の解釈でもない場所から、何かが“降りてくる”瞬間がある。それは意図や計画の外部から訪れる、変容の触媒である。
このとき、コーチングの本質は「問いの設計」ではなく、「場の共鳴」に移行する。問いは入口であり、対話の空間が深まるほど、思考よりも感受の質が変化を駆動していく。
そう考えると、コーチングは本来的に「自力」と「他力」の協奏である。明確な意思と努力を通じて自分と向き合いながらも、自己という枠組みを超えた“何か”に開かれる余白を持ち続けること。そこに、真の変容の余地が生まれる。
つまり、他力とは放棄ではなく、統合である。自らを律し、耕した土壌に、他力という雨が降る。その雨を受け取ることを恐れずにいられる自我のしなやかさ──それこそが、成熟したコーチングの実践に求められる倫理なのかもしれない。
コーチングにおける「変わる力」とは、強くなることではなく、深く柔らかくなること。自力と他力が境界を溶かし合いながら、新たな自己を立ち上げていくそのプロセスにこそ、本質があるのだ。
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