
存在の深みへ――「実現しない自分」に価値を見出すために
「なにかを成し遂げないと、自分には価値がない気がする」
そんな声を、内なる独白として抱えている人は少なくありません。
現代社会は自己実現を至上命題とし、「社会的に意味のある何か」によって自己価値を担保しようとする構造で満ちています。
しかしその構造自体が、自我発達のある段階の視座に偏っていることには、あまり目が向けられないのです。
自我の発達は、線的というよりもむしろホロン構造(holon)として捉えられます。
すなわち、各段階は前段階を包含しつつ、それを超えていく。
「個」から「集団」へ、「集団」から「システム」へ、「システム」から「統合」へと視点は拡張していきますが、
それは決して“上に昇る”というより、“深みに潜る”運動なのです。
この構造を逆照射してみると、
たとえば後期自我(オレンジ)以降の「達成による価値証明」は、ある意味、社会性を媒介とした自己愛の表現でもあります。
ここで忘れてはならないのは、社会性を介さない、もっと根源的な自己愛の層が、私たちの内側には静かに存在しているということです。
この層は、言葉にならない胎児的な感覚や、身体に先行する存在感覚に近い。
「私は存在している」という事実だけで、すでに肯定されているという感覚。
それは、他者や社会からの承認を必要としない“非-条件的な自己価値”であり、
この感覚に触れないまま「自己実現」の道を歩み続けることは、根なし草のまま塔を積み上げるようなものなのです。
今の自我段階を超えようとするのではなく、
むしろその手前——もっと深く、もっと前に横たわっている非社会的な自己愛に意識を沈めてみること。
それは、社会性によって媒介された「評価」や「成果」とは別の場所で、
「ただ在る」ことの充足を、静かに育てはじめる道なのです。
この領域に意識的に触れるには、瞑想的な時間や、沈黙のなかに身を置くことが助けになります。
誰かの期待も、自分の“すべき”も脇に置いて、ただ「今の私が在る」ことに全身を預けてみる。
すると、“実現していない私”の中に、むしろ最も確かな存在の重みが宿っていることに、ある瞬間、気づかされることになります。
この気づきは、発達段階を飛び越えるような劇的な変化ではありません。
むしろ、各段階の土台をしなやかに支える「深みの回復」です。
自我の成長とは、より高くなることではなく、より深く“在る”ことへの旅なのかもしれません。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
↓ 過去ブログ ↓
