
師を超えてゆけ。声なき根が張り巡らされるように
多くの人が、人生のどこかで「師」と呼べる存在から学ぶ機会を得ます。
その教えや視点が、自分の世界を広げ、苦しかった時期を支え、
新たな一歩を踏み出す力をくれたのだと感じている人も多いでしょう。
けれども、学んだ先に大切なのは、
いつまでもその「師の傘下」だけに留まっていないか?を
自分に問い続けることです。
師を超えていくとは、決して
「師よりも有名になる」とか「師よりも成果を出す」という
競争的な意味ではありません。
師を超えていくとは、
教わった枠の中だけで自分を定義しないこと。
親を超えていくように、
誰のコピーでもない自分の存在として、
自分の人生の在り方を拡張し続けていくことです。
どれだけ崇高な理論を知っていたとしても、
「師の理論を誰よりも正確に語れる人」で終わってしまえば、
情報として知っているだけです。
「情報身体」が伴っていないことは、すぐにわかります。
人は知識を学んだだけでは、
自分の血肉にはなりません。
踏み出して、体感して、失敗して、
咀嚼して、問い直して、
師の言葉を自分なりに超えて、
ようやく自分の在り方が太く、深く根付いていくのです。
そんな実践の積み重ねによって、
気づくと「情報身体」が圧倒的に大きくなっているのです。
だから、学びの場は「籠」ではないのです。
「教えていただき、ありがとうございます。
ここで得たものを抱いて、自分の人生を歩みます」
そう言って離れていいし、
何度でも戻り、また離れていいのです。
「ここに居続けないと不安だ」
「ここに居れば守られている気がする」
そんな気持ちも、誰しもあるでしょう。
でも思い出してください。
あなたの人生は、師のためのものではなく、
師の範囲内だけで完結するものでもありません。
教わるだけでなく、実装し続けてください。
自分の在り方を社会に還しながら、
誰かの言葉をそのまま繰り返すだけでなく、
あなたの根っこから滲み出る言葉を響かせてください。
あなたの可能性は、誰の都合にも縛られません。
もちろん師は、自分の都合で留まるようにアンカーを入れてはいけません。
誰のコピーでもない、
あなた自身の人生を歩み続けてください。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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