「抽象度が低い」と誰かを赦せなくなったときに

脳の仕組みを理解し、認知的不協和を解きほぐし、
「現状の外」にぶっ飛んだゴールを設定する——
この辺りまで学んだ方は少なくないでしょう。
すると、無意識に
「抽象度が低い人」「思考停止している人」
「そんな人々を操作するだけの人」といった
“分ける目線”を強めがちです。

でも、ここに落とし穴があります。
もし抽象度の高い人が低い人を見下すとき、
本当に抽象度が高い状態と言えるのでしょうか?

抽象度が高いとは、
低いものを分離するのではなく
包摂している状態です。
だから「低い人は低いままでダメだ」と赦せていないうちは、
実は反応的に“同じ土俵”に降りている。
つまり、両者とも抽象度は同じ階層に留まっているのです。

私たちは社会と繋がりながら生きています。
自分と違うものを「赦せない!」と排除するほどに
社会性は弱くなり、人間関係のギスギスを生みます。
包摂は机上の知識だけではありません。
「あり得ない!」と思う現実に遭遇し、
拒絶しそうになる自分を俯瞰し、
葛藤しながら少しずつ受容していく体感があってこそ
高い抽象度のリアリティが育ちます。

「分離意識」にハマったままだと、
誰かを変えようとする声ばかり大きくなり、
「素晴らしい未来」と言いながら、
目の前の『今』は生きやすくないままです。
でも、分離を超えて包摂を体感し始めると、
現状の外のゴールを掲げつつ、
社会性と自分軸のバランスを保ち、
誰もが価値ある存在だと腑に落ちてきます。

その波紋が、曼荼羅のように人を通じて広がる——
抽象度の高さとは、そんな愛の範囲の拡張です。

あなたはどこで線を引いて、
誰を「低い」と見ているのでしょうか?
「統合」とは遠い分離に留まっていないか?
コーチングを伝える者である前に、
まずは自分自身が体感する実践者で在り続けること。
学んだ理論を超えて、
「赦す」「受容する」プロセスを楽しめる自分であれますように。

「理」を崇め留まる状態を超えてこそ、本来の自分と触れることが出来る。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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