反応してもいい、でも引きずらない──脱力する力を養う

私たちは誰もが社会と関わりながら、自分なりの「処世術」を身につけて生きています。
極端な言い方になりますので、多くの人がそうなっているのか怪しいかもしれませんが、世代が巡る中で、この処世術は少しずつ変わってきているのではないでしょうか。

これまでの処世術の多くは「闘い」がベースにありました。
受け入れがたいことが起きると、負けないように対抗心を燃やし、勝とうとする。
波風を立てないために心を閉じ、相手の意図に沿った行動を選ぶ。
理不尽に負けると抑え難いほど悔しんで心の傷となり、それを更に処世術に活かす。
自分の思いを押し殺してでも「勝ち負け」で物事を判断し、社会の中で生き延びてきた。
多くの人にとって、これが当たり前の姿でした。

しかし、情報化が加速した現代では、知らなかったことを知り、見えなかったものが観えるようになり、比較対象は無限に広がりました。
その結果、情報に短期的な反応をして、更に闘いの処世術を行使して疲弊する人が増える一方で、
最近では、自然に情報を長期的且つ俯瞰的に捉える人も増えてきて、「闘い」よりも「脱力」や「受け流し」が新しい処世術のベースになりつつあると感じます。

もちろん、瞬間的にイヤなことが起きれば、怒りや悲しみ、焦りや不安が湧き上がるのは自然なことです。
でも、引きずって気にし続けることのコストがあまりにも大きいと気づき始めている人も増えてきました。

今、40代以降の世代ではまだまだ「闘いの成功法則」にすがる人も多いですが、あれはもともと数パーセントの社会的成功者が作り、また一部の人しか結果を出しやすくない形でもあります。
「そんなことはない、誰でも何者にでもなれる」と言う人はいますが、理屈的にその通りでも、やり切る人が少ないので現実に表れる結果が伴っていません。
そんな成功法則は学びとして役立つけれど、多くの人にとっては「慰めの言葉」になってしまいがちです。

だからこそ、私たちは少しずつ「そうでなければならない」という思い込みから自由になっていく必要があるのだと思います。
理不尽に傷ついたり、失敗して落ち込んだり、誰かに嫌われたり、どうすればいいかわからないときなんて、これからも何度も起こるでしょう。
けれど、その度に心をかき乱され、相手の土俵に乗って引きずられるのは、本当に必要でしょうか?

反応する自分を責める必要はありません。
ただ、一度立ち止まって俯瞰してみてください。
「ああ、私は今すごく怒っているな」「今、正義感が反応してるな」
そうやって自分の内側を眺めながら、「自分の軸を乱さない」と意識してみることです。

すぐにできなくても大丈夫です。
少しずつ、瞬間の反応を味わい尽くし、引きずる必要のないものを手放す感覚を体で覚えていきましょう。
「そうでなければならない」から抜け出せたとき、あなたの処世術は、きっと新しい循環を生むものになっていきます。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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