
偏りすぎた“未来信仰”が、今を縛るとき
「素晴らしい未来のために」「多くの人が喜ぶ未来をつくりたい」。
そう思って、まだ見ぬ理想をゴールに掲げて、
今を積み重ねていくのはとても尊い姿です。
でも一度、「理想の未来に向けて頑張る」というこの取り組みを
あえて「偏っている」と見立ててみてはどうでしょうか。
理想を掲げるのは美しいことです。
しかし、その真逆にある「後のことなんてわからないのだから、
今を全力で生きる」という在り方も、
同じくらい美しいものです。
理想に向かって今を生きること。
誰も未来のすべてをコントロールできないと知った上で、
「今やりたいことをただやる」ということ。
どちらが正解かではなく、どちらも同じくらい尊く、
どちらに偏りすぎても息苦しくなります。
思い描いた未来が100%計画通りに叶うことはほとんどありません。
けれど、「未来なんて誰にもわからない」という真実を突きつけられても、
今の私たちにはある程度、思考し、選択し、
自分なりに未来をつくっていく力があります。
つまり、どちらか一方に振り切るのではなく、
両方を抱えた中庸な在り方こそが、
柔軟でしなやかな生き方につながるのです。
「先人が好き勝手やってきたせいで、今の時代につけが回っている」
という見方もできます。
でもそもそも人間は不完全で、
すべての未来を完璧に設計して
引き継いでいくことなど到底できない存在です。
テクノロジーはどんどん進化します。
成熟した自我を持つ若い世代が感心するほど増えています。
それでも私たちはいつだって未完成であり、
問題に直面する。だからこそ面白いのです。
大切なのは、
理想の未来を思い描くことで「今の苦しさや葛藤」から
逃げようとしていないかを、
そっと自分に問いかけてみること。
「理想の未来を見据える自分」というキャラクターを
強く演じすぎて、
逆に無限の可能性を狭めて、現状に留まってないか。
理想を描くことと、今を生きることの間にある
中庸な在り方に気づくことで、
もっと自然に未来が流れ込み、
思いがけない可能性とつながっていくのかもしれません。
理想に縛られず、未来に支配されず、
「今ここ」に目を向ける。
それもまた、あなたの未来を豊かにする一歩です。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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