
本物の“深み”は体験の中にしかない
知識を学ぶこと、言語化すること、流暢に話すこと。
これらは確かに人を説得するうえで有効ですし、肩書や実績は“信用”という土台を生みます。
ですが、それだけで人を動かすほどの“深み”が滲み出る人は、ほんのひと握りです。
肩書のある人が、学んだ知識を引き出しから取り出しては巧みに語る。
そんな姿は、意識の高い情報を追い求める人にとっては魅力的に映り、
「自分は選ばれた知識を手にしている」と優越感を得る装置にもなります。
でもそれは、言葉の奥に本質が伴わなければ、ただの“言葉っ面の快感”でしかないのです。
結果として、臨場感の弱い“コピー思考者”が量産されるだけ。
知識を学ぶのは悪いことではありません。
ただ、それを絶対視して「学んだら人生が変わる」と思い込むのではなく、
もっとエンタメ感覚で扱えばいいのです。
結局のところ、酸いも甘いも体験してこそ、学んだ知識は血肉となり、
何気なく放つ言葉にまで深みが滲み出ます。
その深みは、発信者本人は無自覚であることがほとんどです。
ただ、自分の在り方が勝手に周囲へ波及していきます。
だからこそ、表面的な「知ってます感」だけを武器にしているうちは、
発信する言葉がどこまでいっても薄っぺらいのです。
多くの人が避け続けるのは、“酸いも甘いも味わう現実”です。
「うまくいく方法」を求め続けるから、結局は机上の空論にしがみつき、
現状を変える本当の一歩を踏み出せない。
本当にwant toのゴールを生きるなら、痛みも喜びも避けられません。
体感せずに頭だけで処理しようとしても、深さは決して宿らないのです。
なのに、酸いも甘いも体験してきた人を
「抽象度が低い」と見下す人がいるのは残念なことです。
けれど、そこを超えたところにこそ、言葉を超えて伝わる世界があります。
どれだけ立派な理論を知っていても、
教科書の一節を棒読みしたような話では、人の心は動きません。
自分の在り方から醸し出される深さがあって初めて、
非言語の奥行きとして周囲に波及していくのです。
「もっと学ばなければ」と思う前に、
本当に自分が心から望むゴールに向かって、やることをやっていますか?
現実世界で体感を積んでいますか?
結局、現状を超えるのは、学んだ知識ではなく、
その知識を試し、失敗し、身に沁みさせる行動と内省の連続です。
避け続ける限り、どれだけ綺麗な言葉を覚えても、
あなたの在り方に深みは出てきません。
逆に、ゴール達成の過程で味わった酸いも甘いもが、
自然とあなたの言葉を変え、空気を変え、
やがて誰かの世界に静かに影響を与えるのです。
さあ、学びだけで満足せず、体感の中へ飛び込みましょう。
深さは知識の先にあるのではなく、あなたの生きた“今”の中にしかないのです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
↓ 過去ブログ ↓
