まずは実際に発明しながら進む②

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「ゴール達成するんだ!」「願望を実現させるんだ!」
そんな強い意志で、負けじと走り続ける人がいます。
これまで努力を重ね、勝ち続けることこそが正しいと信じ、苦しささえ乗り越えてきた人ほど、その歩みは本気で、美しく、まっすぐです。

でも、そんなある日、ふと目に映った足元の花に心を奪われたり、空を見上げたときの静けさに涙がこぼれたりする瞬間があります。
それは、目標を追う「動」の視点だけでは味わえなかった、もうひとつのステージへの気づきの始まりかもしれません。

利他的なマインドの自分、スキルアップする自分、成すことを追い求める自分。
そこには確かに「陽」のエネルギーがあって、人生を前に進める力がありました。
けれど、見ないようにしていた「陰」の部分――
恐れや不安、痛みや葛藤――それらもまた、味わい深い人間の一部であり、まるごとの自分であることに気づいていく。

「こんなにも素晴らしいものが、目の前にあったんだ」と沁みるような感覚。
そのとき、人は、陰と陽、どちらが良い悪いということではなく、どちらも抱きしめて生きているんだと、実感をもって腑に落とすのです。

そしてもうひとつの大切な気づきが訪れます。
「外側を変えるゴール」「何かを成し遂げることで得られる自己価値」
それらが、決して悪いものではないと理解しながらも、
“そこを目指すことだけが人生ではなかったんだ”と、肩の力が抜けていく感覚です。

「ありのままを体感する」と言うと、どこか静的な「悟り」のように聞こえるかもしれません。
けれど、それもまたひとつの偏りです。
ゴールを追う「動」のステージと、今ここを味わう「静」のステージ。
そのどちらが正しいという話でも優劣でもなく、行き来しながら“自分にとっての自然な流れ”を取り戻していく。

“もうひとつのステージ“という表現を使うと、成長とか、進化といったイメージがついて回るかもしれませんが、
実際には、「自分の弱さを認める」「誰かの期待を裏切ってしまう自分さえも受け容れる」といった、
むしろ“情けない”と感じていた部分への赦しが含まれていることも多いのです。

この在り方は、肩書きでも、知識でも、戦略でもありません。
何かを証明する必要も、勝ち続ける必要もない。
ただ、その人からにじみ出る非言語の臨場感が、曼荼羅のように周囲に自然と波及していく。
そんな、作為も損得も超えた世界が、確かにあるのです。

もちろん、まずは願望成就に向けて走るのもいい。
そこから見える世界があるからこそ、その先が見えてくる。
どのステージにいようとも、それはすべて“今のあなた”として尊く、正しいプロセスなのです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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