煩悩から守破離という道

私たちが「願望を叶えたい」と願うとき、その背後には少なからず“煩悩”があります。もっとお金が欲しい、愛されたい、認められたい、成功したい――こうした思いは、人間としてごく自然な感情であり、決して否定されるべきものではありません。

しかし、問題は「その願いが叶わなければ私は満たされない」という在り方になってしまうことです。願望そのものに縛られ、執着し、そこに自分の価値を預けてしまうと、いつしか私たちは“今ここ”を生きられなくなってしまいます。

ここで思い出したいのが、日本の伝統的な修行の道「守破離(しゅはり)」の考え方です。

  • :型を守り、教えに忠実に従う段階
  • :型を破り、自分なりの工夫を加える段階
  • :型から離れ、自在に表現する段階

このプロセスは、単なる技術や芸道にとどまらず、生き方そのものにも応用できるものです。

願望成就のプロセスも、実はこの「守破離」に似ています。

まず、私たちは「願望を持つ」という型(=守)を通じて、自分の中にある欲求や課題と向き合います。最初は誰かの教えや方法を真似しながら、理想の自分を目指します。

しかし、次第に「本当に自分が望んでいることは何なのか?」という問いが芽生え始め、誰かの正解や外側の成功パターンに違和感を感じるようになります。これが「破」の段階です。ここでは、自分なりの在り方を模索し始める大切な時期となります。

そして最終的に、「願いが叶っても叶わなくても、私はすでに満ちている」という静かな境地に至ると、「願望」すら手放せるようになります。これが「離」。そこには、煩悩が浄化された後の、凛とした自由さがあります。

つまり、願望は人生の道しるべでありながら、最終目的地ではないのです。

願望に向かって努力することは、人生に張りを与えてくれます。しかし、それが“苦しみの源”になってしまうのなら、一度立ち止まって「その願いは、どこから来ているのか?」と問い直してみることも必要です。

煩悩を抱くこと自体は悪ではありません。それをどう昇華し、どのように人生の学びへと変えていくか。そこにこそ、生き方としてのコーチングや自己探求の本質があります。

願いは、持ってもいい。だけど、それに縛られず、執着せず、ただ「今この瞬間」を大切に生きる。
そうして自然と手放された願いが、ある日ふと実現している。そんな静かな豊かさこそが、私たちが本当に望んでいたものかもしれません。

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