
🌀「教え」を超えて、在るを生きる
どんなに崇高に見える教えも、それ自体がゴールではありません。
仏教で言えば「方便」、コーチングで言えば「ツール」──つまり、それは通過点であり、道の途中で使う杖に過ぎません。
それを絶対視し、妄信し始めた瞬間、その教えは「道」ではなく「檻」となります。
「光」だったものが、気づけば他者を裁く「刃」に変わることさえあるのです。
私たちは 「方法もわからないゴール」に向かって歩む存在です。
つまり常に、“invent on the way(途中で創る)”。
やってみなければ、何が起こるかなんて本当の意味ではわからない。
この言葉は、知識としては簡単に理解できます。けれど、現実に体験する「臨場感」は、それを軽く置き去りにします。
■ とんでもない臨場感に「教え」も役立たない瞬間がある
いくらコーチングを学んでいても、いくら「Beingが大切」と知っていても、
いざその身に「ズーン」とくる何かが起きたとき、
「そんなのも幻想だよ」と言い聞かせたところで、簡単には抜けられないものです。
実際、プロコーチとして活動している私自身がそうでした。
うまくいっている“風”の発信を心掛け、現状の不調や揺らぎを「見せてはいけない」と感じていた時期もあります。
でも、現実の中でこそ学びは深まる。
どんなに崇高な言葉を語っていても、ゴールが見えなくなる瞬間はあります。
むしろ、ゴールを本気で見出そうとしているからこそ、起こる混乱でもあるのです。
■ 「教え」ではなく「臨場感」に巻き込まれていないか?
特定の教えを信奉している人ほど、
「自分は正しい教えに従っている」という確信に寄りかかってしまいがちです。
その安心感が、いつの間にか「自分には問題がない」という幻想を生み出します。
でも実際は、どんな教えであろうと、“今ここ”で臨場感に飲まれれば、簡単に抽象度は下がり、視野は狭くなります。
そして、こうなります。
- ゴールを見失い、現状しか見えなくなる
- 手放すべき教えを掴み続け、自己正当化に走る
- 他人のズレを指摘して、自分のズレを見失う
つまり、「教え」そのものに執着している状態こそが、Doing(渇望・枯渇)の強化なのです。
■ コーチング実践は「教えを越える」ことの連続
本気でコーチングを実践していると、
「こんなことが起こるなら、もう現状維持の方がマシでは…」とゾンビのように思考停止しそうになる時もあります。
けれど、それすらゴールから見れば必要なプロセスです。
なぜなら、そこから「またゴールを見出して歩き出す力」が生まれるからです。
そして、その経験があるからこそ、同じようにブルブル震えているクライアントに本質的な安心を届けられるのです。
📌 本当に「悟った人」「目覚めた人」とは
悟ったから完璧になるわけではない。
ゴールを設定したから、常に順調なわけではない。
Beingを語ったから、心が穏やかとは限らない。
それでも、ゴールに向かって歩む。
やり方を持たずに、それでも創り出す。
そして、途中で見失っても、また見つけていく。
それが “invent on the way” の本質であり、
そのプロセスのなかで、抽象度は自然と上がっていくのです。
☸ 最後に
曼荼羅も、仏性も、Beingも、コーチング理論も、
すべては「あなたがあなたを生きるための方便」でしかありません。
最後には、教えすら手放して、ただ在る。
だからこそ、**妄信ではなく“実践”**を。
知識ではなく、“臨場感”を通して本質に触れ続けてください。
そのプロセスの中に、あなたの真実が息づいています。
そして、必要なときは──
**あなたのゴールを見失わずにサポートし続ける他者(コーチ)**を頼ってください。
人は、自分一人では見えないスコトーマを、他者の視点によって超えていけるのですから。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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