悩める人の臨場感を観察する

そりゃそうなんですけど、(・・・っていう風に世間を評価しちゃってるんですけど)

そりゃそうなんですけど、どうしても解決したいのに辛い(と捉える)目に遭い上手くいかず、

身体に支障がバシバシ出まくるくらい、苦しみを引きづり抱えながら生きてる人が大勢います。


「やっぱりそうだよね」って、思った人も多いと思いますが、

誰かの辛いシーンを映像で見たとか、いろんな辛い事例を様々な情報媒体で見てきたとか、

そんなんではなく、本気で「うわぁぁぁぁぁ!」って辛い気持ちが噴出してる人が目の前に居て、

そんな臨場感の中を、俯瞰してビシバシ体感してる状態を味わうって少ないんじゃないかと思う。


先ず、他人の前で本気で「うわぁぁぁぁぁ!」って辛い気持ちを噴出する機会ほぼ無いでしょう。

噴出したり、呪いの波動を醸し出すほど塞ぎ込んだり、プツンと正常な機能が不全になったり、

もうそんな状態に陥って、いろいろやったけどもうどうすればいい?って人と対峙し体感するって、

俯瞰的に観れないとガチで取り込まれるので注意ですが、実は貴重な臨場感体験です。


本物でも偽物でも、科学でも幻想でも、自己効力感が高くてもありのままの自分を受容しても、

もう時代の流れはコーチングって枠で納まる「情報場」から離れておりますが、

めっちゃ美男美女でも、めっちゃ仕事できる人でも、めっちゃ高学歴でも、そうでなくても、

どんな肩書特徴関係なく、渦巻いているところにはこんな渦巻いているんだなーって実感してます。


前回のブログでも書いた通り、救っても救わなくても役立っても立たなくてもいいと思ってるので、

もし何か私が伝える機会があれば伝えますが、それでマインド激変で解決!というよりは、

この直面から自身と向き合い体感しながら、劇的解決方法を求め彷徨うのではなく、

そのままの自分ができることからやり続けて、結果を受け入れ続けてほしいと願うばかりです。


ラポール云々、カリスマ崇拝云々、理論云々、肩書実績云々、

結果として多くの人を救ったというストーリーで語られようとも、

本人が「救われたんです」と本気で感じていようとも、じっくり観察するとわかる人はわかる。

そりゃそうなんですけど、(・・・っていう風に世間を評価しちゃってるんですけど)

そりゃそうなんですけど、どうしても解決したいのに辛い(と捉える)目に遭い上手くいかず、

身体に支障がバシバシ出まくるくらい、苦しみを引きづり抱えながら生きてる人が大勢います。

これを「やっぱりそうだよね」って思った人が多いのであれば、救ったなんて微々たるもんです。

もしかしたら、救ったのではなく「言葉」によって一時的に辛さを逸らした程度かもしれません。

正しい、間違ってる、こうでなければならない、こうはなりたくないの強化が促進されて、

本当は、救いを求めるループ人生を構築させられてるだけかもしれません。

リピーターサイクルビジネスにもなりますしね。


救うことが使命だと思ってるわけでもないのに、悩んでる人を観察することに興味があります。

「えーそんなの悪趣味!」という捉え方は誤解であり、

その悩み辛い状態に、こちらが余計なジャッジをせず、良かれと思ってコントロールしない。

ブッタが「うわぁかわいそう!」「こうしてあげたい!」「お願いだからこうして!」なんて風に、

悩める人と接してたら、あんな表情にはならないし、あんな非言語情報は発せられないでしょう。


私だって、お金払って実践的なアドバイスをいただいても半年手をつけなかったこともあるし、

自ら学び実践を続けることで、多くの人の人生が劇的に変わっている未来を描きました。

他人を変えるなんてコントロール欲求不要だし、自らと繋がることだって一朝一夕にはいかない。

ただ、気になることに着手して、今のそのままを離れて観て体感し続ける。

それが、どういう結果になるのか?

経験則では測れない結果を、受け入れ続ける。

不思議な日々である。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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