救いたいも役立ちたいもないわ

ついに・・・コーチングで多くの人の役に立ちたいとか、助けたいを明らめました。

私のコーチングによって、誰かの人生が劇的に変わっている未来を目指すのもやめました。

そんな未来を見据えて、どうしていこうか?というコントロール欲求が消え去りました。


コーチングで皆が喜ぶ未来は、私の経験則にガッチリ合った「さぞかし良さそうな」未来です。

今の私でも、そうなると素晴らしいと思う程度の描き方ができる範囲内でしかありません。

「さぞかし〇〇な未来」という言葉で片付けられる未来でしかないと実感したのです。


今取り組んでいるのは、「これやって何になるのか(何が良いのか)わからん!」ということです。

ここで、「わからん」から「わかろうとする」目線で一生懸命取り組みましたが、

「わかろうとする」こと自体、言葉にまで抽象度を下げたコントロール欲求でしかなって感じて。


「わからんけど、気になるからやる!」ただやって体感するんです。

そこに成果を狙うことも、やった先の長期的な期待も捨て去ることができてきてます。

何にもならなくても、それはそれで良く、何か語れる成果が出ても、ただそうなっただけ。


もちろん、経験則からの期待や算段や他人の評価なんか入り込む余地はありません。

尊敬する人の言葉や約束や与えられた希望が入り込む余地はありません。

「ただそうなった」これが繰り返されるだけで、ゴールを追いかけるよりエキサイティングです。


ゴールを設定して野心的にコントロールしているうちは、怖れとの闘いが付き纏います。

自他ともに「自分が何者でもない」と思い思われることの不足感から怖れを払拭したいのです。

そんな闘いから離れたら、物理的に身体反応として表れ始めました。


20年以上煩っていた症状が9割改善したので、信じられないような出来事ですけど、

「ただそうなった」というだけで、経験則からの予想ができないし、理解したわけでもない。

理解した気になること自体、言葉というツールを当て込んだだけだということです。


コーチングを学んで理解した気になって、ゴール設定して野心的に動いていたころよりも、

理解しようともしない域で、ただそうなっていることを体感するのが、面白過ぎる!

例えばそれが、誰かに拡がり救おうが、世の中をひっくり返そうが「ただそうなっただけ」。


「誰が何をやったからそうなった」というのは、後付けの言葉によるストーリーでしかなく、

結局、「大きな流れ」みたいなはっきりした表現が出来ない事象により、そうなるだけなのです。

「今を生きる」ことを一人一人が実践することで、その流れを生み出すような未来になるだけ。


ここまでの文章すら、体感をわかりやすく言葉にしようとしただけで、

「伝わってくれー」「読んでくれー」「誰かの役に立ってくれー」という念もありません。

伝わっても伝わらなくても、読まれても読まれなくても、役に立っても立たなくても、

ただそうなっただけであり、「このマインドで激変する」とか、どちらでも良い体験でしかない。


一切なにかを極めた気もしないし、成長したというより、ただ図太くなったように感じます。

誰からも「すごい」と言われなくても、むしろ「かわいそう」と言われてもよい。

期待を裏切ることになっても、悲しませても、理解されなくても、収入に繋がらなくてもよい。

「絶対そうなりたくない!」という歯の食いしばりが消え去っただけ。


でも「何かを成す」という情報の方が目を引き魅力的ですし、追いかけ続けると良いと思います。

「絶対そうなりたくない!」という歯の食いしばりが、どこかで全開グルグルし続けるでしょう。

どうなろうと、結果を体感し続けるだけですので、良い経験できてよかったねという話。


もはや無理に語る気はなかったのですが、時間があったので語っただけ。

なにか問題解決してるのか?生き易くなったのか?それすらジャッジしておりません。

でもやっぱり、愛を育んだり喜びを共有するのは楽しいなーって、それでいいなーって感じます。

ただ、そんな毎日になりました。

あんなに、「こうなってやる!」って奔走してたのに・・・。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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