使わないと意識するくらいがちょうどいい
世界は「誰々がこうしたからこうなった」というエビデンスなんてものが無意味なほどの
大きな流れがうねっていて、個人個人の「正誤のレッテル貼り」なんて覆い流すんです。
目の前で不快なことが起こっているなんてことは、「誰がどう」というのを超えてます。
「正誤のレッテル貼り」は思考によって湧き出て、個人の生き易さに影響を及ぼします。
怒りをあらわにする人も居るだろうし、感情を抑圧して忍耐を選択する人も居るでしょう。
「自分の正義」の剣を振りかざすということは、敵と戦う事態を発生させるということです。
膨大な情報を貪って思考しまくってる人も、楽しければ良くねーって笑ってるギャルも、
バリバリビジネスマンも、パチンコに明け暮れる人も、悪徳業者も、教祖様も信者様も、
深く思考するしないによって幸福度とか裕福とか生き易さに差が生まれるわけではないんです。
よく観察すると、思考しまくってるということは可能性拡げているようで可能性を限定してます。
思考にエネルギーを使いすぎて、他のエネルギーが湧き出なかったり抑圧したりするのです。
特に、抑圧されたエネルギーは、無かったことにできないので奥底でモンスター化します。
いくら思考を重ねたところで、そんなの圧倒されるほど自然というのは膨大です。
思考や無意識が映し出す自然の側面などごく一部で、思考がもたらした絶対的成果はありません。
これから何が起こるか100%コントロールできる人はいない世界であることは事実ですので、
思考や無意識を客観的に離れて観ることが必要なのです。
思考のクセや表情、姿勢、しゃべり口調、無意識に指を動かしたりなど、
それまでそうやって生きてきたのですから、やっちゃうし、出ちゃうのです。
誰かに気づいてもらうって非常に効果的で、思考で分離してた流れと繋がり循環し始めます。
私は、コーチなのでコーチングを受け続けているし、「これがこういう効果がある」というのが
自分の思考やエビデンスで示されなくても、やってみたいという好奇心でやっています。
今日は、その一環であるホロトロピックブレスワークに参加して、無意識の自分に気づきました。
現状に不足感を抱いている人は、いかに感情を抑圧し思考でレッテル貼りをグルグルしているか?
絶対の正義は無いし、本物のコーチング理論も無いし、深い思考が出来ても自然には敵わない。
大乗的な発言をするとしたら「みんな、深く考えすぎないで体感していこうぜ!」です。
みんな、そりゃいろいろあるけど、複雑の中で単純に生き易く過ごせるといいなと思うからです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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