特別な存在は居ない
人それぞれ「社会」の中に居て、その人なりの適合が生き易さに繋がります。
人生の選択の中でぶち当たった社会に、自分のパーソナルで上手に溶け込めているのも適合だし、
周りと適合することが出来なかったら、自分が心地よいコミュニティを創り上げるのも適合です。
もちろんこれは同じ職場の人とか、一緒のコミュニティに属する人、家族、友人などだけでなく、
接するお客様、お取引先、近所の住民、ただ単にすれ違う人、情報で見た人なんかも含んだ話です。
これらに精神すり減らしてる状態だと、感情に支配され生き辛いし解決求め何かに依存しやすい。
何か慰め正当化してくれるコミュニティに依存して、そこにこもりっきりになるか、
ギャフンと言わしたくて、「目に見える成果」を求めて闘い続ける人生を歩む人も居る。
社会的に危険なのは、一人っきりで憎悪を増幅させて、「目に見える犯行」に及ぶことです。
コーチング的に言えば、今より抽象度上げたり、ぶっ飛んだゴール設定によって、
そんな低い抽象度関係を認識しないほどの状態をコンフォートゾーンにするとか、
現状の不協和コンフォートゾーンから、現状の外のゴール達成して移行することで解決かな。
理屈としては「その通り!」と思いますし、「そうなったる!」という体験も素晴らしいですが、
俯瞰的に観て、ペルソナと虚勢を休むことなくむき出しにし続けてる人生まっしぐらです。
とんでもない「我」の体力が必要ですし、万人向けのようでほぼ解決感は得られないのです。
と、いうことがナチュラルに俯瞰視できる世代の人や、やってみて身に沁みた人にバレ始めてます。
バシッと言うと、社会性で適合が困難である人のパーソナリティは、自分を棚に上げてるので、
「ダメな自分の部分」とか「自分のレベルが下と思い知る」ことが、超絶恐ろしいのです。
そんな人に「本当のあなたはすごい!」「抽象度が上がると現状に不協和を抱く」なんて言うと、
大体は正当化に塗り固められて、周りは抽象度が低い!だからエフィカシー上げるぞ!となる。
この時点で「自分は正、周りは誤」のスコトーマが発生し、「特別な存在など居ない」ことが認識できなくなる。
ご存知かと思いますが、
巷のニュース見てやいのやいの言ってる人だって、サービス業のスタッフに態度デカい人だって、
地元に居続けて変わり映えもない生活している人だって、サイコパスとか言われてる人だって、
日本の一般的感覚からすると、とんでもないモラルで迷惑をかける海外の方だって、
大活躍してるビジネスマンだって、抽象度高いゴール設定してる人だって、
どっちがすごいもないし、どっちが正しいもないし、自己として受容することが寛容です。
自己愛の偏りに意識を向けるのです。
「自分の凄さ」「ポジティブなセルフトーク」「よく見えるように虚勢をはる」だけでなく、
情けないと思われてもいいし、恥をかいてもいいし、そん自分も愛してさらけ出せるのです。
すごく魅せなくてもいいし、認められなくてもいいし、相手と上下なんてないのです。
あなたの中の「普通こうでしょ!」なんて、狭い範囲の経験則による見識でしかありません。
相手の「普通こうでしょ!」を流せたり、包摂できたりすると、感情に支配されにくくなります。
抽象度の高さも素晴らしいですけど、見識が深く広い状態が生き易さに繋がります。
自分の小ささや、相手にも人生があり常識があることに向き合い体感し受容し続ければ、
だんだん自分の世界から天敵が居なくなるし、気づくと周りから愛されてる実感を身に沁みます。
なんと実は虚勢を張って愛されようとするより、本来の自分で接すると愛され与え合うことになるのです。
あんなにブワっと怒りが沸騰したのに、あんなに屈辱的なことを平気な顔して言われたのに、
こいつら抽象度低いなーと思ったのに、なんなん?このレールみたいな常識と違和感感じたのに、
なんと虚勢を張って弱い自分を見せまいと歯を食いしばったからこそ映し出された現実だなんて!
避けて避けて精神世界に逃げ込むのも良し。自分を棚に上げて「特別感」で虚勢を張るのもよし。
ぶっ飛んだゴールもいいけど、否応なく接する社会で生き易く適合するパーソナル醸成も重要であり、
利他的なゴール達成もいいけど、自分の普段の生活が生き易いストレスで過ごせるパーソナルを育もう。
経験則の話ですがコーチと話してて、「あっこの人の話は適当に流した方がいいな」と判断して、
とんでもない自分マウントの話を長々聞き流したり、コーチコミュニティの輪にどっぷりなのに、
何伝えたいのかわからない内容で延々語ってた人も居たので、コーチの人にこそ当てはまるでしょう。
あなたがすごくても、あなたが本物で他が偽物であることなどありません。
「自分たちがやっていることは、他の〇〇より素晴らしい行いだ」という活動などありません。
抽象度が低くても、その人があなたより下ということではないということに盲目になっては社会不適合です。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
↓ 過去ブログ ↓


