「方法」の話ですらない

そうなろうとしてそうなるもんだと思い込んでたので、絶対そうなってやる!って生きてたし、

そうなろうとしてそうなった人の話がまた魅力的で、絶対そうなってやる!に拍車がかかって、

そういうのがメソッドとしてあることを知り、「何としても欲しい!」って飛び込んだ。


そんなんで毎日生きてたら、そうなろうとしてそうなって喜んだこともあるけど、そんなんより、

そうなろうを捨てるに至って受け入れて流れに任せたら、そうなって拡がってることに気づいた。

あれ?気づいたときの幸福感が、そうなってやる!と掴み取ったときよりも断然沁み込んでいく!


ゴール設定して達成する、あの障害物乗り越え掴み取るループもまた趣があっていいのですが、

自らの「怖れと不安」を抑え込んで、「ほら、私は勝者だ」と安心するイメージへの闘いは、

数々の歴史の英雄から現代のバリバリ成果マンでお腹いっぱいだし、もう私は必要に応じて闘う。


「こんなはずじゃなかったのに!」とか「なんでオレはこんな状況なんだ!」という現状解釈。

それなのに「あぁ、あの人はすげーなー」とか「あんな風になりてーなー」という未来希望。

現状否定から脱却したいカラッカラの渇望感が闘いの原動力になり、グイっと未来に重きを置く。


「もしかしたら未来がこのまま満足できないかも!」という「怖れと不安」を否定して、

「そうなってたまるか!理想を掴み取ってやる!」という理想で自ら縛りつけ闘う随時戦争状態。

俯瞰して観ると、「今」がずーっとキッツキツで闘い、自らの幸福感を見失ってる連続世界瞬!


こんな風に「今」が浮足立って「怖れと不安」を否定して闘うのも「どうぞ!」って話ですし、

「怖れと不安」を明らめて、情けない自分でもいいし、すごくなくていいから、それでも委ねる。

そうなるかどうかなんて、どんな理論も科学も100%はないから、ただ日々向き合い体感する。


情けない自分がブワっと出たり、感情の起伏で体温が上がったら、ただただ受け止め体感する。

「こんなカッコ悪くてはいけない!」とか「こういう私を見て!」という仮面を剥がすのです。

それでも自己評価や装いなんか無意味なくらい、周りからの愛や美しさを実感することでしょう。


自分が愛されていること、自分が生まれてきたことへの感謝、そうしようとしなくても湧き出る。

「今」湧き出ていることに気づいて実感し続ける世界瞬(コンフォートゾーン)なのです。

誰しも起こる思い通りにならないときも、大きな流れの計らいなので体感するのです。


「思い通りにする」というのは、障害を乗り越えるということ。

「どうなるかわからない」けど、流れに委ねて体感するのは、「今」を生きること。

「今」を人間らしく生きろ!「未来」に浮足立つな!「過去」をじっくり溶かしていけ!

ゴールなんぞ元々ある!だからこの世界を体感してる!ゴールが無いと思ったら無い世界が映る!

つまんない日々もゴールがあるから実感するんだ!在り方で同じことが起きてもまるで変わるよ!


抽象度高いゴールって、そうなろうとしてそうなった人(勝った人)の目指す世界ではないよ。

「今」をジワっと実感する人が、曼荼羅構造で拡がっていくところからであり、

「これをマスターしておけば、抽象度高くなれる」みたいな、知識技術の話でもなく、

「こうすることで、抽象度高いゴールが達成されていく」みたいな、やり方の話ではない。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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