平和を外側に促すというより自らが平和なコンフォートゾーンに移行する
身に沁みて感じることは、コーチングを学んでゴール達成をしようとするわけで、
なにかに影響されて抽象度の高いゴールを設定して、多くの範囲に施しを与えるのは良いですが、
ゴール達成の状態が「外側の状態」に留まってるイメージの人が多いのではないかということ。
世界が平和になって戦争とか差別が無くなっても、この言葉だけだと「外側の状態」です。
この「外側の状態」が実現しても、自分は楽しくない仕事に内側から苦痛を感じ、
何かしらの情報発信で流れる「見た目が羨ましい状態」に不足感を内側からヒシヒシ感じる。
こんな状態では、空から爆弾が降ってくる恐怖が無くても、差別される心配が無くても、
自分が幸せを感じられないですし、そんな意識で眺める世界は至る所で不足感に満ちてます。
今までの生活で幸せを感じていた人が、様々な情報が入り比較による不幸を感じる可能性もある。
そう考えると、戦争ダメ差別ダメで平和サイコー利他サイコーとかもそうかもしれませんが、
今の状態に心から幸福感を感じられる人(生き易い状態の人)が先なのではないか?
世間的成功者ではなくても、一般的な生活の人に「えーそんな生活なの?」と言われたとしても。
ゴールって誰に何と言われようが、自分のゴールとか言いますが、
自分の幸せだって他の誰がどんな状態でも、誰に何と言われようが、自分の幸せだということ。
「外側がこんな状態になったら内側がこうなって幸せ」という設定自体不足感との闘いループなのです。
「世界が平和になって、皆がお互いを尊重する」というゴールを掲げているのなら、
世界が平和になったから、皆がお互いを尊重している状態になるという順番ではないことは
わかっているだろうし、まずは自分自身が誰しもを尊重することが当たり前の状態からです。
ムカつく客だって、横柄な不正野郎だって、どんなに自分の中のモラルに反する人種の方だって、
世界中の皆さんに対して、自分の中の正しいも間違いもなく、レベル高いも低いもなく、
穏やかな心で尊重するという、現状できる人居ない?というほど「現状の外」へ移行するのです。
他の人へ平和をアプローチするよりも、自分から実践して気づいたら他の人へ波及するのです。
それなのに不足感と闘いの中で固く握りしめてるのは、過去に味わった恐怖から身を守る鎧と、
羨望を促す情報の自分なりの実現こそ幸福を手に入れるという想いで抱く理想への闘いの剣です。
ずーっと闘い続けている多くの人を俯瞰的に眺められる情報量の時代ですので、認識できるか?
むしろ羨望を促す情報を喉から手が出るほど欲しい人は、不足感との闘いで固く握りしめてる人。
そんな闘いの状態の余裕の無さで、より多くの人に施しを与えようなんて悲壮感が滲み出ます。
自己犠牲型のリーダーシップなんてのも、握りしめた過去の産物で思い切りパンチしてるようなものです。
どんな革命を起こして、何かを勝ち取ったとしても、不足感との闘いの限り幸福感は一瞬です。
むしろ闘いの為に握りしめていたものを放棄する方が、そこに豊かなエネルギーが流れます。
力んでいたところを緩めて、そこに流れるエネルギーを感じると、実はとても幸せなんです。
実は、「こうやってこうなるんだ!」というゴール設定自体「呪い」なのかもしれません。
思い通りに運ぶかの進捗に一喜一憂して、湧き出る豊かさを思い出せなくなってるでしょうし、
そういった方達が非常に多い状態だと、集合的無意識として全世界に波及してしているのです。
こうなってくると、ゴール達成の為にあれを節制してこれを徹底して意地でもやるというより、
「こうなりたい」が湧いて出ちゃうので、「つい夢中でやってしまう」ということなのですが、
この「つい夢中でやってしまう」が、自然にできなくなってしまった人が非常に多いのです。
なぜならこの「つい夢中でやってしまう」って、何の鎧も剣も持たず自然な自分だからであり、
多くの人が、そうしたことのリスクを知ってしまってる気になって、即座に鎧を纏うからです。
リスクヘッジ中心の生活だらけになるということは、自然の流れに歯止めを掛け続けています。
お金を使うということは所持金が減っちゃうというリスクを強く感じながら支払うとか、
ここで強く出とかないとなめられちゃうのが怖いから虚勢を張らなければいけないとか、
「できない奴」と思われるのが恐ろしいから、無理してでもできるように振舞い続けるとか。
本来の自分を取り戻しつい夢中でやってしまうって、ほとんどの人にとって困難なことです。
この話を聴いて「確かにそうだな」と感じたところで、まぁできない人ばかりでしょう。
コーチングを学んだとしても、このままだと過去は関係あっちゃう人だらけなのです。
意地でもやってやる人は外側の成果として出てきますが、そういう外っ面な話ではありません。
未来を設定して過去との闘いに勝利して、不足感を埋めるだけで解決することではないのです。
だって、勝利する前に新たな不足感を見出して闘い続けるってことですものね。
まずは、自分が今の状態に心から幸福感を感じられること(生き易い状態)が先。
その中で過去が関係してくることは幻想だったということを、実体験を通して身に沁みること。
幸福感を感じられるあたりから、近くの範囲から狙うことなく影響を与え始めます。
私はこれらを、じっくり取り組んで取り戻していく生活をしております。
不正してるっぽい政治家を愛せますか?酷いモラルで日本を観光している海外の方を愛せますか?
目の当りにしたら自分の正義によって怒りがこみ上げる人って、世界中にたくさん居ます。
愛の範囲を拡げようとしても、自分の正義まで幻想ということを受け入れるのは難しいものです。
現状の外を怖れず諦めずに行動し続けて握りしめたもので勝ち取る的な促しの時代は過ぎ去って、
味わい身に沁みて、握りしめたものを手放して受け入れることに、けっこう気づき始めています。
理屈とか慰めとか装いとかの抽象度ではなく、体感として言葉すら必要なく気づき始めてます。
自分の内側からの集合的無意識への波及が先で、行為の成果は付いてきた程度の重要度です。
本当は情けなくて弱っちいような自分すら尊重して愛してあげると流れ始めるかもしれません。
「こうすればそうなる」とか、そんな予定を調和させるコントロールでは捉えられない話なのです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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