不快もinvent on the way

気休め程度の言葉だとしても、救われる人は意外と大勢いらっしゃいますので、

とても素晴らしいと思いますし、なにか嬉しいエネルギーが循環すればいいと思います。

そんな中で腰を折るようですが、コーチングマインドでもちょいちょい不快なことは起こります。


「ボッ!」と怒りが噴き出て、身体が熱くなる反応が出ることもあるかもしれませんし、

「えっ?こんなんじゃ、そのうち〇〇になってしまう!」と不安に襲われるかもしれませんし、

「あー、なんでこんな結果にしかならないんだろ」と、成果に対する不満が出るかもしれません。


これらの要因に対して、他者のせいにするか?自分のせいにするか?全面的に受容できるか?

そんな精神性のステージがあるような説明ができますし、そう言われれば説得力もあるのですが、

「結局、幻想だし!」とわかってても、早めに受容できても、不快感は出るもんは出るのです。


「自分が創り上げた幻想」という言い方にすると、趣が変わってきます。

「幻想」だけだと「起こったことから逃避」っぽい解釈で、抑えて避けて夢想に偏りそうですが、

幻想は自分が創り上げたのですから、不快という創造物にめっちゃ感心させられます。


不快感を味わうだけ味わったうえで、そんな自分を離れた位置からメタ認知のごとく俯瞰して、

「いやー、幻想なのにこんな実感を創り上げるなんて、マジで奇跡みたいに天才すぎる!」

そのくらい凄いんだから、幻想と気づき、本来の力を取り戻す感覚を実感する流れを作る。


逆に連続でめちゃくちゃ強運に恵まれたら、「すげー!マジで奇跡としか言いようがない!」と、

もちろん幻想なのに、興奮気味に感心しどんどん押し寄せる快感を味わい尽くすことでしょう。

陰もあるし、陽もあるし、どちらもあって世界は成り立っていることを実感する機会なのです。


コーチング云々にいくら傾倒しても、ちっちゃい情けないカッコ悪い自分は必ず残るのです。

聖人に寄せても、温かい目で世界を見渡しても、他から見える見えない関係なく時折噴き出ます。

そんな自分を「出てきちゃダメ!」と抑え込んでいても、結局奥の方で暴れ出すのです。


「こんな情けない私も居る」「カッコ悪い自分を認めて不快すら楽しむ」「本来の力を取り戻す」

そんな味わいの繰り返しにより、ドシっと地に足ついた人間らしい魅力的な波動になり、

「カッコ悪いを認め楽しんでるカッコ良さ」という、結局魅力が包摂している状態になるのです。


私も、こんなにコーチとして毎日生きているのに、

「なんなんだよ!」と噴き出ることなどは、かなり減ってきていますが、やっぱりあります。

その度に幻想と気づき、本来の力を取り戻し、自分の創造物に感心し、それに感謝します。


コーチングマインドを「善」と聖人化して、カッコ悪い醜い自分を「悪」と抑え込まずに、

どちらも驚くほどの実感を味わえる、素晴らしい世界の創造主としてただ生きていると、

「辛い!キツイ!イヤだ!だからなんとかしてくれ!」「おかしい!赦せない!」

「あぁ、この人ならこの辛さを救ってくれるかも」という世界に生きるのではなく、

素晴らしい世界の創造主がコンフォートゾーンになるので、豊かさを認識し始めるのです。


あなたにも、カッコ悪い、醜い、ちっちゃい、寂しい自分が居るように、

あの有名な人、尊敬する人だって、どんなに影響を与える素晴らしい発信をしても、

当然カッコ悪い、醜い、ちっちゃい、寂しい自分が居るのです。

コーチもそうですし、阿闍梨もそうですし、教祖もそうですし、すべての人間に該当する話です。


そのすべてを創造しているのが自分だなんて、なんて素晴らしい世界を観ているんだろう!

理想の平和な世界を目指しているなら、尚更ダメな自分を抑え込んでると暴発しますので、

逆に暴れ出して平和な世界に悪影響を及ぼします。

戦争起こしてる人なんて、ダメな自分を抑え込んで暴れ出したから実感として起こってます。


全てひっくるめて、あなたが創造している感心するほどの世界を観ているということです。

「コーチングマインドになれば、不快なことが起こらなくなるよー」ってことではなくて、

世界が平和になっても、不快なことは起こるということから目を背けないことであり、

面白い世界を想像して観察して味わってるということになります。

不快な目に遭った時、本来の力が戻ってくるイメージを漲らせてみるといいよ。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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