ビジネスゲームの延長線上の闘い
不本意な状況にならないように、または不本意な状況をコントロールして解決するために、
自分はどのように思考してアクションしていくのか?
この結果ありきの実力が評価軸になっている時代が、長期間続いています。
以前はこれらリーダーシップの実力をつけることが勝ち負けを左右すると思い、
自己犠牲ベースで四六時中考えまくったし、時間忘れて数字とにらめっこするのも好きだったし、
皆が自主的に取り組んでくれて相乗的に結果に表れるように、細部にわたり気を使った。
令和の今痛感しているのは、平成の内に全力で勝ち負けビジネスゲームして良かったということ。
私にとって理想的な状態を目指す上でリーダーシップが備わっていることこそ本質なのではなく、
必要な社会適合のために、あったら役立つ程度の経験値でしかないことが体感として理解できる。
自分や自分の思い入れのある範囲に対して不都合な状況に陥れる要因を「悪」と見なし、
「悪」に対して、こちらの意図通りにするための「善」をかざして理解してもらおうとする。
この「闘い」に勝利するための武器やスキルのためのリーダーシップ論にしか見えない。
「私たちの「善」は、あなたたちの「悪」より抽象度が高いから、「善」に階層を上げなさい」
願望の実現に拘り過ぎると、抽象度が低いと感じられる事象が違和感満載で認識されます。
意識の階層みたいな図を当て込むと、自分では理解できない人が世界中にホントたくさん居ます。
コーチングでは、相手の抽象度のちょい上に下ろしてセッションして相手の抽象度を上げたり、
「悪」を理解することで、「善」を理解していただくのも相互依存にとって効果的なのですが、
「こういう「悪」の意見の人も居るよね」という、「善」を棚に上げた理解だけではないのです。
この自分にとっての「悪」は、自分の可能性を狭めるジャッジを露見してくれる大先生なのです。
「「悪」の意見の人は、ホントしょーがない奴だ」という上から目線の捉え方ではなく、
「自分の中でこれが赦せないと気づき、可能性を狭めていることを教えてくれている!」のです。
あなたにとっての「悪」を俯瞰して観察すると、自分の怒り、プライド、罪悪感、恥、怖れなど、
自分が「私は抽象度の高い「善」だ」と思考している状態よりも抽象度の高い情動が、
無意識で常に噴き出ていることによる影響に意識が向くきっかけになるのです。
この情動に意識が向いて、味わいながら向き合い受容して手放していくと、
面白いことに「悪」が自分の世界から居なくなることになり、よく考えたら驚くでしょう。
「あぁ、絶対にこうしてはいけない!と、情動にまみれていたわー」と、ずいぶん楽になります。
不都合な「悪」に対して、リーダーシップによって闘いに勝利してやるは魅力的に見えますが、
実は同じ階層の闘いの連続ラットゲーム推奨人生です。
不都合な「悪」を認識したら、無意識で背負ってる情動をドサッと下ろす好都合のきっかけです。
不都合な「悪」が発生するのは、自分の世界にとって自然な流れであり、
イヤだイヤだ!避けたいコントロールしたい!と流れに逆らおうとすればするほど溺れます。
最悪な状態からあれほど目指した平和な状態になると、その平和の中での不満が生まれるのは興味深い。
不都合な状態に対して、なぜこうなったかデータ吟味して把握して、改善策を懸命に考えて、
改善案を実行するために各々このように動こうぜ!という引っ張るリーダーシップよりも、
不都合な状態は、何を教えてくれていて、どの情動の琴線を刺激しているのか?を享受する。
すべては光なので、受けたもうってやつですな。
不都合な状態がイヤだイヤだ!避けたいコントロールしたい!を実装するためのコーチングか?
様々なことを受け止めながら抽象度が立体的に拡がり、目に映る世界を楽しむコーチングか?
よくよく考えたら、コントロールしようとして溺れ続けているのであれば、
思考停止に思える人や、「なんであんなことできるんだ?」という人なんかの違和感から学ぼう。
そんな奴から学びたくないプライドが、抽象度の高い場で歯止めをかけているかもしれません。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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