利他に見えるようで我が我がと求めてる
抽象度の高い利他的なゴールを設定して、ゴールの重要性によって認識することって、
「この状態問題ありだな」「当事者は悲しいだろうな」「こうならないように救ってあげたいな」
このような「問題とされそうな状態」にフォーカスして社会貢献したくなることが非常に多い。
それまでそれぞれ様々な人生を生きてきて、「そっかー利他かー」と感銘を受ける体験をして、
「さぁ、ボクも利他的なゴールを設定するぞー」と決意し「利他はないかー?」と探し始めると、
ほとんどの人は、認識することが自然の流れをコントロールする欲求になります。
どういうことかというと、世の中の「不足」を粗探しすることに重要性を感じるのです。
世の中の、ありとあらゆる「不足」に対して「ある」と認識して不足にまみれた世界を生きます。
「不足という苦痛を解消すべく現状をコントロールしたい」を「求める」になっています。
びっくり自他一体ブーメランなのですが、これって「現状の自分の内部表現の写像」なのです。
「自分」と「他」を分離して、自分の不足感という苦痛をどうにか解消してくれー!と藻掻き、
その葛藤が「他=世界」として不足を至る所で認識して、羨ましい人を参考にし続けます。
この根底にあるのは、実は「求める」ことにかなりのエネルギーを捧げていて、
不足解消を求め、尊敬する人に教示いただくことを求め、主張が承認されることを求めています。
そのために「なにか与えることってないかな?」と「与える」をねじ込むべく探すのです。
「求めているので与えようとしている」って、かなり「自分のための割合」が強いです。
「抽象度の高い利他的なゴール」のはずが、自己の葛藤解消のツールになりかねません。
葛藤のフィルターによって、自分が認める人以外の言動に対し、至る所で違和感を感じませんか?
「求めているので与えようとしている」は、自己の不足感の表れということですので、
「求める」「与える」より、まず「受け取っている」をジワっと実感できるようになることです。
見栄え良く「与える」ことを脇に置いて、「受け取っている実感」から世界が拡がっていきます。
ふとした自然、目覚めた朝、身体の状態、愛する人、当たり前すぎて意識してなかったこと、
はたまた人間関係、病気、辛い労働、お金などの自分と向き合う体験でさえも受け取っており、
ヒシヒシ感じると、不足感による葛藤で狭くなった抽象度が実感を伴いながら拡がっていきます。
この「受け取っている」ことが腑に落ちると、「うわっマジで幸せなんだけど!」となり、
そんな在り方で生きてたら、まずは与えようとしなくても気づくと自然に与え始めちゃうのです。
そうこうしてる間に「求める」を意識することなくジワっと与えたくなって、実際に与えます。
「あぁ、これがやりたかったんだ」という内側から湧き出るwant toを実感するのもこのころ。
ここから在り方自体が、動きとして「受け取り」「与える」を繰り返しますので、
言い方によって「求めている流れになっている」ということになるのです。
ほとんどの人が、「求めているからコーチングを学ぶ」ではないかという所感です。
そこから「仮のゴール」を設定して求め続けると、「あぁ、空だわ」と身に沁みるのですが、
それでも身体を持って体感してるので「受け取ってる」ことを実感して、満たされ与えるのです。
言語化しましたが、読むだけでなくコーチングの実践によって実感するに至りますので、
結局「やり続ける」ってことです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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