「そうなっちゃう」物理世界
もちろん、自分がビジュアライゼーションしている姿になるわけであり、
そのために必要な物理世界を「今」臨場感たっぷりに味わうことになるのですが、
事ある毎に体感を俯瞰的に自覚して、よくもまぁ受容してるなと感じます。
そんな日々を過ごしているもんだから、善悪から離れどちらでも受け取れるようになると、
気に入られようとして気に入られたわけでもなく、相手を喜ばそうとして喜ばれたのでもなく、
「幸せだ」言い聞かせ幸せを感じたのでもなく、不思議と「そうなっちゃう」ことに気づきます。
稀に、こちらが意図しないのに「相手が不快感を示してるのでは?」と感じることもありますが、
それは「相手次第のどうしようもないこと」と捉えて、こちらは平然としていられるし、
もし、相手がアプローチしてきたら落ち着いて結果を気にせず応対できます。
「あなたが必要だ」と言われても、自己犠牲を伴うなら耐え抜いてまで期待に答えませんし、
自分が真剣に取り組んでる横で、こちらの気持ちも考えずにサボってても何とも思わない。
こちらが素晴らしいと感じていることを押し付けるわけでもない。
何が言いたいのかというと、「在り方次第で自利も利他もそうなっちゃう」ということです。
「利他的なゴール」とか「いい人」とか、そうなろうとしてあれこれ云々というよりは、
自然な在り方で生きていたら、「ん?なんでこんな結果がいいんだ?」と後で気づく感じ。
むしろ、「そうなろうとする」をビシビシ顕在意識に上げ続けること自体、
「なにかの理屈の中」という現状を維持しようとしているので、外側の変化程度に至るのです。
初めは「そうなろうとする」からでも、後にジャッジから離れ包摂半順序束を受容するのです。
「そうなろうとする」は経過だということで、その状態において「利他」とか「現状の外」とか、
大まかな方向性を提示するのって、当然いろんな人が居るわけですので必要なんです。
我利我利亡者へ「そうなろうとする」人を増やそうなんて想いでは、この記事読まないでしょう。
まずは「現状の外の利他的なゴール」から、学ぶだけでなく実際に様々な体感を経ることで、
頭ではなく身体として在り方が変容していき、創造性が内側から湧き出てきます。
そんな状態がコンフォートゾーンなのですから、自然と自利も利他も表れるのです。
コーチングは素晴らしいと日々学んでいるが、なかなか何にもならず不足感を感じてるなら、
これまでのコンフォートゾーンから離れて止めて観ることが必要です。
実現して手に入れるだけではない階層を捉えられるようになると、利他は語るまでもありません。
きっと、多くの人が「現状の外の利他的なゴール」を設定して実現すべく取り組んでるでしょう。
自分のマインドが映し出している世界を体験して、味わい尽くしながら取り戻していくことで、
自らの内側から創造性が湧き出て、自然に「そうなっちゃう」状態を体感するようになります。
あとは、「自分はこうしたい」を、実際に存分にやるという流れです。
エフィカシーとか挟む間もなく、やっちゃうだけです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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