分離してると包摂されてない
具体的な実績がある人の格言を聴いて「すげーなー」って思ってもいいし、
お金持ちのやってることを聴いて「やっぱちげーなー」って思ってもいいし、
自分より精神的に幼いように見える人に「ありゃ抽象度低い」と思ってもいい。
真理であっても科学であっても、縋ってもいいし取り入れようとしてもいい。
取り入れて、ぶっ壊して、離れてもいいし、自分なりに創り上げちゃってもいい。
これが真理であり科学であると、学び続けてそこに居るだけでもいい。
「そうしたくなかったら、しなければいい」とは思いつつも、
何かと理由をつけて、したくなくても仕方なくしていてもいいし、
全部捨て去ってでも、やりたいんだからやり始めてもいい。
一発逆転大成功したら、そうなっただけのことだし、
鳴かず飛ばずでくすぶり続けるのも、そうなっただけのことだし、
絶対的な方法を探し続けて彷徨い続けるのも、そうなっただけのこと。
重要なのは「やった(やり続けた)ことの進捗状況」でしかないということです。
怪しい儲け話で、多くの人から大金を稼ぎだそうとも、
怪しい壺を買って、大金を失うことになっても、
怪しいコミュニティに参加して、妄信的に活動を展開しようと駆けずり回っても、
抽象度を上げて観ちゃうと、「ただ、そうなっただけ」でしかないということです。
「なにがそうなっただけじゃ!」「酷いことじゃないか!」と腹立たしいのでは?
だって「空」なんだから、「実際にこうなったから、〇〇に感じた」って抽象度低いじゃん!
そう!「空」だからって抽象度上げっぱなしだと、レベル高いのではなく「ポワーン」なのです。
やってもやらなくても、実際に体感する体験を目の当たりにすることになり、
「実際にこうなったから、〇〇に感じた」を、抽象度低い情報空間で臨場感高く味わいます。
やってもやらなくても、うまくいってもいかなくても、生きていれば「体験」は絶対なのです。
ここで、感じたままだと「そこだけ」の視点での体験になりますので、
まずは、「ただ、そうなっただけ」という離れた位置からの高い視点を持つことです。
「そうなって、〇〇に感じている」ということを、俯瞰的に観ることで幅が広がります。
そのうえで、「ただ、そうなっただけ」から抽象度を下げて、
「でも「〇〇に感じた」のは、これからもずっとそうとは限らない」という視点です。
「最悪に感じた」のに、その後の進捗で「あれがあったから最高になった」になるかもしれない。
例えば、皆さんが好きな「お金」だって、
「騙されてお金を失って最悪と感じた」けど、その体験を本にしたら、
大ヒットしてお金持ちになって、そこから利他的な活動して偉人になったとか。
お金が無い人生を臨場感高く体験したら、「お金が無くても何とかなる」というのが腑に落ちて、
お金に対する不安が無い人生を送ることができるようになったとか。
好ましくない体験が、後々の自分の人生にとってギフトになることは実際多い話です。
「皆さんが好きなお金って、オレはそんなお金の亡者じゃないぞ!」と反応した人も、
逆に、お金のことを気にしすぎちゃってる世界を生き続けているのかもしれません。
「利己的に考えてはいけない!利他的な行為が素晴らしい!」に寄り過ぎてるかもしれません。
ゴールもそうで、ゴールの抽象度が高いからレベル高いのではなく、
多くの理論技術を知ってるからレベルが高いのではなく、抽象度高い方で「ポワーン」ではなく、
設定して上で「実際にこうなったから、〇〇に感じた」を、体験してるのです。
体験しながら、自由に抽象度を高くも低くも行き来できて身に沁みることが糧となり、
その高低が強いエネルギーを発生させることになります。
高いと低いを切り分け分離していると、矛盾しちゃって包摂してないということになります。
「何もしない」体験も、抽象度の高低によりエネルギーが生み出されるかもしれません。
この体験が良い悪いでジャッジするのも、留まる要因になり得ます。
やらなしゃーないな!そんなときにはな!
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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