社会貢献は崇高な行いか?

めっちゃお金を持ってる人や、影響力がある人は、社会貢献をしてるらしい。

「そうなんですね」

「その人は社会貢献したかったんですね」

「やりたいからやったんですね」という話です。


「そうかすごい人は社会貢献をするのか!」

「じゃあ私もやらなっくっちゃ」は、

すでに自分のエネルギーではありません。


社会貢献は「しなくてはならない」わけではありません。

社会貢献をすることが「いい人」であるわけでもありません。

社会貢献してる自分は、精神性が高くて抽象度が高いわけでもありません。


社会貢献は「しちゃってる」し、「もちろんしたければすれば良い」のです。

社会貢献は、めっちゃ重要そうに感じますが、特別なことではありません。

社会貢献してなさそうに見える人も、社会貢献くらいしてます。


「もっと、世界規模の社会貢献をしていきたい!」と思うのであれば、

自分の居場所感とか関係なく、自らどんどんやってみると良いと思います。

様々な体験をすることで、どんな方向に行くか楽しみですしね。


私が「そうなったらいいなー」と思っているのは、

全員が幸せを感じて生きれば、めっちゃ社会貢献なのになーと思っています。

これは、外側の話ではなくて内側の話です。


外側なんか、いくらでも幸せに見えることがあります。

羨ましそうなものを手に入れたり、実現すればいいことです。

しかし、「さぞかし」と「実際のところ」は必ずしもイコールではないのです。


儲かってなくても、実現してなくても、平和でなくても、

本人が「あぁ幸せ」と実感していれば、それだけでかなり社会貢献です。

怪しく聴こえるかもしれませんが、自らの波動で多くの人を豊かな方へ引き上げているからです。

それだけ取り繕わずにジワっと幸せを感じる人は、喜びや楽しさを与えられます。

さぞかし羨ましく見える人も、「幸せ=外側の条件付け」が必要と思って奮闘しながら、

実際のところ「〇〇だから幸せなんだ」と思い込もうとしてるだけかもしれません。


「社会貢献してる方が精神的に優れている」という思い込みは必要ありません。

「ほら、見てください!こんな社会貢献をしているんですよ!」も必要ありません。

尊敬する人が「社会貢献だ」と言っているから、自分も社会貢献をするのでもありません。


もしかしたら、社会貢献って「やろうとしてやる」というよりは、

「気づいたら社会貢献やっちゃってたと言える」という自然発生的なものなのではないか?

自分の在り方で生きてたら、「あれ?これって社会貢献ってやつ?」と気づくということ。


外側が便利になっても平和になっても、どう捉えるかは万人が人それぞれ。

「〇〇にならないと〇〇だから、そのために〇〇するんだ」というのも、

本人がそう捉えてるだけで、万人がそう捉えてるとは限りません。


まずは、自分のガッチガチの条件付けを自覚して、それが絶対ではないことに気づき、

気づいたら目の前が心地よさでいっぱいであることが捉えられてくると、

勝手に社会貢献が拡がっていってることになって、そのことを後々気づくことでしょう。

「社会貢献しなくてはならない」も、どちらかに偏ってバランスが悪いのです。

心配しなくても社会貢献しちゃってます。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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