ただ「今」そうなっただけ
狙って考えて動き続けたというよりは、あるときふと気づいたら、
自分がそこに居るだけで、周りが良い雰囲気になってないか?と思えてきたのです。
そこに居る自分も、とても気分が良いと感じるので気に入ってます。
それがコンフォートゾーンなら、さぞかし心地よい毎日なんだろうと思うかもしれませんし、
確かに心地良い毎日ですが、自覚するようになると「繋がれなければならない」に寄り始めて、
「私は人と繋がれない」という言葉に対して、
「は?そんなわけないだろ!」と身体が反応することに気づきました。
人と繋がっている状態を目の当たりにして心地良さを体感することで、
喜びで悦に浸りながら、知らず知らずのうちに「繋がらなければならない」の方に傾いていき、
「人と繋がれない」と逆側に触れるのが赦せなくなっていたのです。
反応的な自分を観察すると
「だって皆が自分といることでこんなに笑ってるんだから!」
「皆が苦手だと言ってる人とだって、普通に接することが出来るし!」
「それなのに繋がれないなんてわけないじゃん!」
見た目は心地よさそうにしか見えないのですが、偏ってバランス崩れてますな。
ただ、「今」そうなっているだけなのです。
「自分の性格がそうだから」とか、「自分が意識レベルを上げてきたから」とか、
「だからそうなった」というストーリーはいくらでも創ることは出来ます。
本当は「どちらでも良い」というか「どちらも良い」のです。
こちらが笑顔を投げかけても、相手がなぜか素っ気ない態度だったとしても、
相手に対して「それおかしいんじゃないか?」と思うことを丁寧に訊いて揉めることになっても、
相手がずる賢くて、他の人に迷惑をかけてでも楽をしてることでこちらが困ったとしても、
自分は今の自分で自分らしく接して、それでどんな反応が返ってきたとしても繋がれなくても、
ただ、「今」そうなっただけのことです。
「今こんなんじゃダメだ!」「だから未来はこうでなければならない!」も苦しく偏ってるし、
「あぁ、今幸せだなぁ」「こりゃ私はうまくいく存在なのだ」というのも実は偏ってるのです。
幸せをひしひし感じる毎日の中で、喜びつつも「ただ、「今」そうなっただけ」なのです。
様々な条件付けをするのは「エゴ」の得意とすることなのです。
もしかしたら、最高に平和の世界になって皆が喜んだとしても、
ただ、「今」そうなっただけで、自然に反した偏りが始まるのかもしれません。
それもそれで、味わい深いのかもしれません。
どっちに転がっても、どんな慈善団体が現れても、
ただ、「今」そうなっただけで、その時々の体験を味わうことができますし、
「絶対にそんな思いをしたくない!」というのも、めっちゃ偏ってます。
そりゃ私にも「あんなことが起きるのはイヤだなぁ」と思うことはありますけどね!
幸せでも、偏るということです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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