どんな未来にする?もそうだけど どんな今を生きてる?
素晴らしい未来を創り上げたい。
そんな想いで生き続けていることでしょう。
素晴らしい未来を創ることで、きっと素晴らしい「今」の連続になるのだと願いながら。
今、「創り上げたいなぁ」とイメージしている「未来」。
今、「素晴らしい今の連続になるんだろうなぁ」とイメージしている「未来」。
では、イメージするしない関係なく、直面している「今」は?どうなの?素晴らしいの?
「末来志向」って素敵です。
「あーなってーこーなってー」イメージしただけで、ワクワクするのがたまらない。
未だ体感してない素晴らしい状態が実現するって、最高の瞬間だろうと感じます。
ふと自覚できると、「ハッ!」と気づけるのですが、場合によっては危うさが潜んでいます。
未だそうなってないことばかり重要性が高くて、ビシバシ臨場感高い「今」を観てない場合です。
なんなら「今」を「こんなんじゃダメだ!」と否定する方に重要性を高く置いてます。
「未来」の「あーなってーこーなってー」のイメージの臨場感よりも、
「今」の「こんなんじゃダメだ!」の臨場感の方が強いのでしょう。
学んでいらっしゃる方も多いと思いますが、臨場感高い方が実現しますので、
「こんなんじゃダメだ!だからいつか、あーなってーこーなってー」という「今」が実現します。
この状態をずっと繰り返しながら、「自分はできる」と言い聞かせて、
様々な自分の弱さを奥の方、奥の方に押し込んで隠して見えないふりをして、
それでも漏れ出る弱さと闘うことにエネルギーを捧げ続けているのであれば身体も大変です。
それでも理想郷は聴こえがいいもんだから、「葛藤ループ」に沼ります。
さて、このループを断ち切るには、理想郷の実現へ向かい闘い続けて勝ち取るのか?
「理想郷の実現」という「外側の変化」をもって解決なのか?
もう2024年ですし、「闘って犠牲の上に勝利してぶんどる」時代ではないのではないか?
平和でも利他でもないのではないか?自己も犠牲になっていますしね。
では、「どこ」で、ループを断ち切るのかというと・・・
これもまた聴こえがいいのですが、「内面が変化する」ことで断ち切ります。
「はいー聴いたことあるー」という反応がこちらにも伝わってくるほど聴いたことありますよね。
これも、「今のダメな内面を良い内面に変えるために学び続けるんだ!」と解釈しがちです。
これもまた、「今のダメな内面」と感じている「今」の臨場感がコンフォートゾーンなのです。
「今のダメな内面」って、どうやって生成されていったのか?
簡単に言えば、生きていく中でいろいろあって、思い込みからの物差しいう「自我」となり、
様々な判断基準となり、それが基で喜んだり悲しんだりしているわけです。
では、あなたの自我によって、悲しんだり赦せないと感じたりすることは、
万人も悲しんだり赦せないと感じるのでしょうか?
あなたがどうしても赦せないことで、怒りが湧き出ることに対して、
「は?何言ってんの?それによって結局みんなの役に立ってるじゃん」という解釈をしていて、
むしろ、許せないどころか歓迎している人だって世の中に居るんです。
あなたは、それをなぜ赦せなくなったのでしょうか?
生まれた瞬間から「それは赦せないことだ!」という基準があったのでしょうか?
もちろん、いろいろあって、いろいろ感じて、「情報の解釈」でそういう基準ができたのです。
この「情報の解釈」という「内面」を「変化」というよりは(変化って言ってもいいけど)、
生まれたてのフラットな状態に「取り戻し」ていくことで、「今」を抽象度高く感じるのです。
ダメなんじゃなくて、まずは良いともダメとも言えない状態に戻るのです。
取り戻しながら、気づくと「これはダメだー!」という力みが無くなっていきます。
取り戻しながら、気づくと「絶対これが真実!」という力みが無くなっていきます。
気づいたかもしれませんが「リラックス」しているので、パフォーマンスが上がるのです。
ここまで聴くと、生まれたての赤子のように「無垢」な状態に戻るように解釈しそうですが、
ここで重要なのは、赤子ではない状態で2024年を生きているわけですので、
「周りとの調和や受容」を同時進行で体現しながら生きることが求められます。
なぜなら、「私はすごい理論に触れている」というエリート的な気持ちなんかで、
「あいつらは抽象度が低いから合わない」という差別的な解釈が生まれる可能性があり、
周りを下に見て受容せず調和しない生き方になるのは、生きづらい臨場感の「今」に繋がります。
私も含め、皆さんも「無知」です。
生きる(コーチング実践)ことで、実際知らなかったことを学ぶだけでなく臨場感高く体感して、
あんなに「こうなるんじゃないか」と怯えてたことが、
臨場感高く体感として知ることで「あぁ、怖れる必要が無いんだ」と力みを抜くことが出来ます。
「無知」だから、様々な学びを貪るのも良いのですが、
「無知」だから、好奇心により動き出し、実際に見て触れて臨場感高く体感して取り戻すのです。
好奇心によって未来へ踏み出しながら、力みのない「今」を取り戻していくことで、
過去の解釈は絶対ではなく、今の素晴らしさを体感できて、未来への好奇心がギフトとなる。
結局、過去の解釈という「重し」と未来への怖れという「重し」を取り除くことで、
臨場感の高い「今」をイキイキと生きることに繋がって、未来への輝きとなります。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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