ゴールが縛りつけてるのでは?

外に向けたコーチング活動をしていなかった、と言うより「迷って」できなかったのです。

なにを迷っていたかというと、「なんか・・・ゴールってなんやねん」と思えてきたのです。

自分の「肩書」に、真っ向から反する感覚がビンビン湧いてくるので困っているのです。


私が学んだコーチングでは、抽象度の高いゴールって超重要なプリンシプルなんですけど、

順番的には、抽象度の高いゴールの重要性に惹かれて自分なりにゴール設定して、

実際マジで追いかけていく内に、「あれ?ゴールって自分を縛りつけないか?」と思えたのです。


今の状態が「おかしいな?」と不満が出たとき(現状の自己否定)に、

何故おかしいのか?その答えの重要性が高いので、答えに通じそうな情報を認識します。

そこに見事にスッと入ってくるのが「コーチング理論」だった人って多いんです。


「そうか!私は抽象度の低いコンフォートゾーンに居ただけで、何も知らなかったんだ!」

「自分には無限の可能性があり、抽象度の高いゴールを設定して生きるとよいのか!」

これまでの適応できなかった不協和に対して、「私は抽象度が高い」という安心感に変わります。


ここで現状の引っ掛かる部分に蓋をしながら、抽象度の高い世界をイメージし続けるのであれば、

ずっと同じことを繰り返し発しながら、「誰かが示すゴール」に安心を求めるのですが、

どんなにカッコ悪くても「今」と向き合い結果を受け入れて「ゴール」を目指して感じるのは、

実は、ゴールって迷える子羊を柵に入れて安心させておくだけのツールでしかなく、

「一念三千」の臨場感を「正しそうな未来のイメージ」で回避してるのでは?と思えてきました。


なんか、「ゴールの状態でない自分を否定しながら歯を食いしばって進む」人も多いでしょう。

ポワーンとゴールを妄想してる人も、絶対やってやる!とキリキリしながらゴールを目指す人も、

「未来」という不確かな妄想の世界に縛りつけられて、情報空間操作されやすくなるだけでは?


まずもって、「あれは抽象度が高い、あれは抽象度が低い」とジャッジしていること自体、

「分離」した状態の世界を認識しているのですから、「世界平和」が実現しようがなく、

「私はこれが抽象度の高いと思い込んでる」の押し付けにしかならないということです。

戦争が無くなって、差別が無くなって、誰しもがコーチングマインドで信頼し助け合うには、

「反対!反対!立ち上がれ!」なんて革命思想でもなければ、

「手を取り合って助け合いましょう」という布教活動でもありません。

実は、一人一人の「今巻き起こるどうしようもない葛藤」と向き合う人数の波及が必要です。


令和5年現在では、葛藤が怒りに変わり「ややこしい大人」を撒き散らす人になったり、

何かのカリスマに妄信して、その人(組織)の養分になるだけの人がまだまだ居る状態です。

今は、その下の世代が「それってカッコ悪い」と少しずつ気づき始めたところです。


気づき始めた世代が、「ややこしい大人」になることも、何かの養分になることも選択せずに、

じっくりと「今起こる葛藤」を真っ向から味わい乗り越えることにより、

必然的に「統合」していくのではないか?人口動態的に「日本」が最適なのでは?なんてね!


抽象度の高いゴールを設定して行動し続けるうち、だんだん「今」と向き合い続けることになり、

未来は結局「今」の賜物であり、自分の内側が「現状の外」に移行していることに気づき、

ある瞬間に、「よくよく足元を観ると今ってめっちゃ幸せじゃん!」と臨場感高く実感して、

できる自信とか目標とか意味とか考える隙もなく、「今」やりたいことをやっちゃってるうちに、

それがだんだん「よくよく考えたら抽象度が高い」ってことになってるだけの話であり、

「やりたいことやる」だけで、ゴールなんて限定的な感じでバシッと設定しなくても

「私はこうしたい」からの認識の拡がりに包摂されているのではないかと思っています。


「相手から奪う類の利己的なゴール」だったとしても、

必然的に「今」と向き合うことになって、なるようになって変容していくという話ですので、

それもまた受け入れるのも「統合」していくということで、「良いも悪いもない」ということ。


「自信があると自覚してやる」のと、「思わずやっちゃう」は、後者の方が感受性が高く、

「こんな状態を目標にする」のと、「クリエイティブに創造する」は、後者の方が感受性が高く、

「この行いの意味は〇〇」というのは「仮」であり、本質的には意味はないことを知っている。

どうなんだろう?エフィカシーとかゴールというのは、「やっちゃう」を怖れる多くの人を、

「中庸」に寄せるための方便なのではないか?と思えてきて・・・

(やっちゃうを怖れるに関しては、次回発信しようと思う)

踏ん切りつかず発信しなかったけど、私のコーチングスタイルはリアルな実践の臨場感ありきや!


発信してなかった期間、「コーチング活動は発信しなければならない」というのを、

「どっちでもええ!」と割り切って生活してたけど、その間も幸福をヒシヒシ感じたし、

どんな状態でも「今、主観的に幸せと感じる」って、なかなかできない人が多いと思うので、

良い流れだったのではないかと思うし、カッコ良いも悪いも実践してるからや!って話です。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。


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