根拠を並べられても幻想の域

現状のステータスを加味して「このくらいのゴールかな?」という設定じゃないんですよね。
誰もが無限の可能性があるって話ですし、
「今〇〇だから、これからは〇〇になってしまうかも!」も幻想であることは明白です。
「今、世界(日本)は〇〇だから、このままでは〇〇になるだろう」と、
影響力ある人が発信したところで、どれだけ頷ける根拠を並べられても幻想の域は超えません。
それを聴いて「あーなっちゃうこーなっちゃう!」と「変えてやるんだ!」ばりに動くのか?
一念三千!「今」の連続でしかなく、未来の実現に関しては根拠は必要ありません。
「こんな世界って素敵だなぁ」って自分が感じられる抽象度でワクワク感じて、
「あーなっちゃうこーなっちゃう!」と浮き足立って(立たされて)一喜一憂しないのです。
あーなっちゃってもこーなっちゃっても、そーなっちゃたら何とかするんですから!
「あーなっちゃったりこーなっちゃったりするのは、あいつのせいだ!」みたいなマインドだと、
スコトーマの原理によって、「〇〇になっちゃう!(幻想)」ばかり注目してしまいます。
そうなると、どうでしょう?「既に〇〇になっちゃってる」ような世界が映し出されます。
適度以上のストレスでリラックスできず、本来のゴールへ向かう姿ではありません。
無限の可能性ということは、根拠関係なく全く違うこれからのストーリー(もちろん幻想)が
なんぼでも描けるので、頷きそうな科学的な未来予想は情報として知っておく程度で良いのです。
基本に帰ると、「有難いお言葉は、善意のドリームキラーになる可能性を大いに含む」です。
有難いお言葉は、おおっぴろげにやるとマーケティングとして強力だという側面もあります。
倫理をうまく逸脱せず不安を煽ると販売成約率上がったりする場合もありますから。
そうなると、どんな情報でも俯瞰的に観ることが重要になってきます。
どんな有難い情報も幻想でしかないと捉える「空観」と、不安という仮の役割を与えるのか?
内側からのワクワクという仮の役割を与えるのか?という「仮観」の両方をwant toに合わせる。
その「中観」で情報空間を捉えないと、依存的な「実観」になります。
「中観」なってくると、浮き足立たずにドシっと地に足がつき始めて、
自分の自由意思による、自分ならではの表現へのスタートラインに立てることを実感しています。
スタートラインてことは、動き出すのが必須ということですけどね!
自分ではやっているつもりで、何かが無意識で塞き止めて気づかずグルグル回っている状態でも、
動き続けることで、ホントとんでもないところから気づき、パッと塞き止めを外すや否や、
「ドッバァーッ」と流れ出る体感は得難いものがあり、「全て順調だった」という表われでした。
まぁ、今回はすべて幻想であり、どんな仮も描けるので、中観で捉えて依存すんなって話でした。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
↓ 過去ブログ ↓
