コーチングの技術知識

コーチングの技術や知識に長けてて、「こうなったら素晴らしい」とイメージしてるだけより、

コーチングの技術や知識が皆無で、「こうなったら素晴らしい」と動き出す人のほうが、

結局、コーチングを実践しているわけですので、こうなったときの素晴らしさを体感します。


そんな実践している人に、「あっ、それってスコトーマですよね」とか、

「それってエフィカシーって言って・・・」とか、知識とか「気」とかパーツで話されても、

「知らんがな!そんであなたはどうしたくてなにやってるの?」ってのが正直なところです。


「どうしたくて」というだけでも足りません。

「なにやってるの?」という話も「勉強してます」「コミュニティに参加してます」だけでは、

勉強したうえで、コミュニティに参加したうえで「なにを自分から発しているの?」ということ。


「コーチングの勉強をしてます。ゴールにとって認知科学をベースとした学びは必要不可欠です」

「世界平和を目指すコミュニティに参加して、仲間とエフィカシー上がりまくりです!」なら、

そのうえで、あなた自身は得た知識、上がったエフィカシーで、何を発しているのか?


これが、「誰かの発したものの周りにいる人」でしか無かったり、

「参加して、同志と話して居場所感を感じられて、大変心地いい空間だった」でしか無かったら、

まだ「知識は得ていないし、参加によるエフィカシー上昇はその場だけ」の状態なんです。


一見、重厚で気品高い魅力的なデザインの箱だったとしても、

中身が張りぼてスッカスカだったとしたら、臨場感が乏しく難しい思考で立ち止まってるだけ。

ただやりたいからやった方が、実際やっているので中身の重厚さという臨場感が違うのです。


実際に実現に向けて動き出すための技術や知識なのか?

「私はすごい」「この理論はすごい」「私はそれを知っている」という所属の優越感に浸り、

終わりの見えない抽象度の高いゴールを掲げることで、迷惑を掛けないための技術や知識なのか?


どちらも価値がある素晴らしいことですので、あとは「あなたはどうしたいか?」です。

「生きる意味」とか「幸せ」とか、どちらも主観的なものですので、どう捉え感じるか?です。

「意味」も「幸せ」も幻ですので、「今」から自分なりにジワっと感じればいいです。


技術、知識という具体的な「方法」を求めがちで、それはそれで必要であれば良いですが、

「ゴールが先」だけでなく、「invent on the way」なので動き味わいながら方法が見えるのです。

「ゴールが先」で、なにもせずに「方法は何かしら?」と探しても動いてないので観えません。


ゴールに向かって動くにあたり、コーチングによるサポートという選択肢がありますし、

ゴールを掲げ留まるのも、経過でしかなく自分が感じられる臨場感から広げていけば良いです。

「絶対」も「当たり前」もなく、ただ捉えた世界が目の前に映し出されてるだけです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。


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