拘りを明らめ手放してよい

無意識であれ、意識的であれ、ジャッジをするということは、

自分の中に陰陽どちらも生み出し、「陽だ!」と叫びながら「陰」を抑え込んでいます。

それは「陰」に対して自己の重要性関数を当てはめまくっているので、苦しい影響がでます。


抑え込むことで湧き出る苦しさを、対処療法的に学びを貪ることによって、

「私は高尚な知識を得ている」という自覚で避けようとする人も多いことでしょう。

「だから私は、一般的な抽象度の低い者達と相容れないのだ」という理論武装です。


本能や欲求であるとかを表現することに自信が無かったり、

表現することによる他者の評価を怖れる自我が無意識に備わってることにより、

適応できないことを正当化することで、依存者の言葉を借りて安心しようとしています。


「この人抽象度低いなー」と、自分が抽象度高いつもりで相手を評価するということは、

自分が抽象度高いつもりで上がってないということの物理的な写像にすぎません。

抽象度低いと思われることの恐怖から、低いように見える人に対して反応的になるのです。


それが、現状に適応することへの足かせとなり、

それなら自分の真の表現によって、自分らしい世界を物理で構築できればいいのですが、

反応的ジャッジによって、更に内にこもり、「invent on the way」を結局しないままです。


抽象度って知識によって上げるのではなく、実践によって味わい上がるものですので、

実際に上がっていくことによって、高いだ低いだというジャッジを手放すに至ります。

抽象度の評価に対する重要性が低いので認識せず反応的にならないのです。


気づくきっかけになればとここまで書いておりますが、

「私は高尚な知識を得ている」という自覚で避けようとするのも悪いわけでもありません。

感銘を受けた学びによって、居場所感があり、現状を保っていられる平和な生き方です。


自分はどうしたいか?というwant toが先にあり、

どの生き方が良くて、どの生き方が悪いか?のジャッジにエネルギーを持っていかれない。

みんな素晴らしいし、皆から受け取っているのです。


目当てのものを求める前に、先に与えることが重要とか言いますが、

それ以前に受け取っているものがあり、与えているものがあります。

そこを気づけずにゴールとか言ってると、それこそ強欲なんだろうなと気づきました。


いろんな人から何を受け取っているのか意識に上げるワークをしてみましょう。

もしかしたら強欲を抑え込んでモンスター化している自分に気づくかもしれません。

煩悩や強欲が悪いことだと言ってるのではなく、抑え苦しんでる自分に気づき手放すのです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。


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